私は、人のことを悪く言うのが苦手で、今まで(元オットと出会って約40年間)、元オットや元オット関係の人々の悪口をほとんど言ったことがありません。
友達にも。我が子にも。
もちろん、DV離婚裁判の陳述書には、要約したものを記しましたが。
婚姻中も、オットや姑に対して不快に思うことがあっても、友人に愚痴を言うことは殆どありませんでした。
人の悪口を言うのを意識的にやめた。
独身だった22~23歳ごろ、「人の悪口を言うのをやめよう」と決めました。
職場の年下の女の子が、人の悪口を一切言わず、いつもニコニコしているので、可愛い!素敵だ!と思ったからです。
悪口や文句をぶつぶつ言う自分は、カッコ悪い・醜い、と思いました。
こうして、悪口を言うのも聞くのも不快なことだと気づき、やめよう!と強く心に決めました。
愚痴も同様で、人の愚痴を聞き続けると苦痛を感じるので、
楽しく可笑しく語れる、軽い愚痴くらいしか、しなくなりました。
それと、愚痴や悪口って、最初は軽いものでも、だんだんエスカレートしてきて、その人のことを本当にキライになっちゃうんじゃないかと。
できるだけ、人のことを嫌いたくない。どんな人にも良いところは有るのだから、と思って。
(今、元オットのことを振り返ってみても、元オットに良いところは有りません。どんなに好意的に思い出そうとしても、元オットの言動は全て自身の快楽の為だったので、ホントに良いところ無いです。悪人って存在するのだなと最近しみじみ実感しています。)
人の性格は、23歳くらいで固定される?
小学生の頃は、父母から、「短気は損気やで」と何度もたしなめられるほど、よくプンプン怒っていたし、おきゃんな子どもでした。
上述のように悪口をやめると、活発な性格を残しつつ穏やかになったと自分で思います。
この経験から、「23歳くらいで、人の性格(人格?人間性?)は、ほぼ固定される」んじゃないかな~、というのが、私の持論です。+ー2歳くらいの個人差はあるでしょうが。
それなのに!
結婚する時、この持論をうっかり失念していましたorz
元オットが中学生の私に手を出したのは、ヤツが27歳の時です。
すでに、性格が固まっている年齢です。ヤツの性格は、狡猾な変態です。
結婚を申し込んできた40歳になっていても、ヤツの人間性は27歳の時と変わっていないことを考慮するのを忘れていました。
自分の汚点・黒歴史(中学時代に先生(後の元オット)と交際していたこと)を払拭したいという思いが強かったので、思慮が浅くなってしまいました。
聞く人を不快にさせるような話をしたくない。
話が逸れました。
人が聞いて不快に感じる話はしたくない、という話に戻します。
不幸自慢みたいになっちゃうような話をするのもイヤです。
父母が早くに他界したことを話題にするのは避けてきました。
同情されたくないという思いもあります。
大災害の時の自分の動きを語るのも断片だけにしてきました。
元オットによる壮絶なDV体験は、「人に相談するには、重過ぎる」「話を聞いてくれる人を不快にさせてしまう」だろうから、誰にも相談できない話だと思い込んでいました。
相談しても、もひとつ理解してもらえないんじゃないかな、とも思っていました。
(婚姻中に体調を崩してからは、「誰かに相談しようか」と考える気力も無くなりました。)
家庭内でこそ、人の悪口を言いたくないが・・・
家庭内でも。
母親が、悪口ばっかり言っていたら、子どもたちは、どう思うだろう?どう育つだろう?
子どもたちには、人の悪口を平気でペラペラ喋る人間になってほしくないです。
でも、子どもたちは、自分の父親がどんなヤツなのかを知っておいたほうが良いとも思います。
自分たちの父親が、このような危険人物だと知ると、大ショックを受けるかもしれない。
私なら、こんなヤツの遺伝子が自分に組み込まれているなんて、絶対イヤだ。
けれども、元オットが「父親という血縁者」であることを口実に、我が子に接触を図ってくるかもしれない(可能性は低いと思いたい)。
元オットは、口の巧さだけで世の中を渡っているヤツなので、我が子たちも最大級の警戒をしておくべきだと思うのです。元オットが、いかに危険なヤツであるか、知っておいたほうが良い。
文字通り、反面「教師」にしてほしいです。
元オットの悪行を約40年間も黙っていたのは、悪口を言いたくないからという理由だけでは、ありません。
次につづく・・・