体調不良について

Bottles はじめに
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元オットとの婚姻中に体調を崩し、以降20年以上、体調不良を抱えています。

オットと離婚し、安全な場所で生活すれば、徐々に回復していくだろうと考えていたのですが、今になっても、体調は改善しません。

もちろん、離婚後、オットのことを警戒しながらも、明るい気持ちで過ごすことを心がけてきました。
もともと、結婚するまでの私は、心身ともに元気いっぱい、楽天的・楽観的な性格で、メンタルも人並だったと思います。
父母は早くに他界しましたが、それまでに十分な愛情を注いでもらったことが、私の生きる力の礎の一部になっているのだと思います。

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体調回復のために、いろいろ試してみたが・・・

病院(心療内科、婦人科、漢方内科、栄養療法、内分泌科など)にも何軒か通いました。
サプリや食事法などいろいろな健康法を試しました。
それでも、ほぼ周期的に、寝込みます。
具合が悪くなると、精神的にも沈みます。
元オットの記憶が蘇り、更に気分が悪くなるという悪循環です。

本やインターネットでも、いろいろ調べてみました。
今のところ、自分なりの見解として、
強度のストレス(元オットのDV)に長期間さらされて、脳の機能が正常に働かなくなってしまったのかな、と考えています。

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DV被害による心身の不調は、長期にわたって尾を引く

心の傷は、身体の傷と違って、治りが遅いなあと思います。

しかし。思い起こして考えてみると。

元オット以外に、数人の男性と恋愛したけれど、失恋の心の痛みは「日にち薬」で和らいで、今では何とも無い。
(あの時、ああすれば良かったな、あんなこと言わなければ良かったな、など多少の反省はあります。)

一方、元オットからのワイセツ被害とDV被害による心の傷は、長く続いている
むしろ、年月を経てもじわじわと蝕まれていく感じです。


結婚してから5年後、心身に不調が現れました。
頭の中がボーッとして何も考えられなくなり、元気が出ない状態が数日続くのです。
最初は2ヶ月に3日〜1週間程度でしたが、徐々に症状は悪化し、1ヶ月のうち1〜2週間は床に伏せるようになってしまいました。
それまで元気いっぱいで常に動き回っていた自分が、なぜこんな状態になってしまったのか、不思議で、怖くて、悲しくて、不安でした。

婚姻中は、自分の体調不良が、オットからの暴力に起因するものだとは、「考えないように」していました。

つまり、オットの言動がストレスになっているのかもしれないなぁと感じつつ、そんなことを考えて態度に表れるようなことがあれば、オットが更に暴れることは間違いないので、
女性ホルモンの乱れかもしれない、とか、
住居にストレスを感じているのかもしれない(古い家で、壁の裏でネズミが走り回っている)、等と、
他のことに原因を探そうとしていました。

ただでさえオットは突発的に暴れるので、できるだけ平穏に日々を過ごせるよう、オットへの不快感を抑圧していたのです。


概要にも記しましたが、結婚して7年経ったある日、オットが大暴れして、自ら利き手の大怪我をしました。
案の定、オットは、自分のケガを私のせいにしてきました。

ここで、初めて、
この人と一緒に暮らしていたら、私の体調不良は治らない。
と思うことを、自分に許しました。


別居、保護命令、調停、裁判へと進んでいきましたが、その期間中も、ストレスはMaxです。
子どもたちを連れ去られるかもしれない、
裁判の結果で親権をオットに奪われるかもしれない、
等と不安が大きく、私の神経はずっと緊張したままでした。


離婚が成立してからも、オットからの接触があるかもしれないと、怯えていました。
つまり、婚姻中から計12~13年ほど、不安やストレスを抱えて、ずっと緊張状態でした。

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DV被害による後遺症

離婚裁判中に仲良くなったママ友が薬剤師さんで、DVが離婚裁判の原因であることを伝えると、
「え!ミヤコさん(私のこと)、大丈夫なん?
ウチの薬局にもDV被害者の患者さん来られるけど、
一人で歩けないくらいボロボロで、いっつもお母さんが寄り添って来院してはるで。」と。

いやー、私も、誰かに支えてもらいたいくらいボロボロです。
その患者さん、お母さまがご健在でらっしゃること、私にとっては羨ましいです。

親の立場から、そのお母さまのお気持ちを考えると、お辛いだろうな悔しいだろうな、と苦しくなります。 


頼れる人が居るなら、頼って良いと思います。
私には、居ないから、上述の通り、過去の父母からの愛情を底力として、自力で立ち直っていくしかないのです。

体調不良を抱えながら、「気合い」で生きてきたなぁ。


ボロボロというのは。
DV婚姻生活で、「自分」が無くなりました。
気がついたときには、自分に自信が全く無くなり、
自分の意見など無く、人(主にオット)任せになっていました。

自己肯定感をすっかり失い、離婚後も、人に気を遣い過ぎたりして、ひどく気疲れしました。

人のことを優先して自分のことを後回しにし、自分を大切にしてこなかったために、失ったものも多くあります。

「自己犠牲はほどほどに」と自分に言い聞かせるなど反省を繰り返すうちに、自己肯定感がゆっくりじわじわ回復し、ようやく自然体で人と接することができるようになってきました。(この「じわじわ回復」は、10年以上かかりました。)


今でも、時々、夢の中で、元オットに怒られないようにしなきゃと緊張していることがあります。
離婚して数年間は、「あっ、こんなことしたら、オットに怒られる(汗)」と反射的に考えて、ビクビクしてしまうこともありました。
これも、徐々に和らいで、元オットを瞬発的に思い出すことは少なくなってきました。

やれやれです。

性暴力やDVによる被害は、自己責任なのか?

けれども、体調不良のほうは、なかなか改善しません。

心の傷というより、脳や自律神経の不調なのだと思います。

周期的に寝込み、気分が悪くなり、そうすると、精神的にも凹みます。
そして、ぐるぐるぐるぐる考えてしまって、苦しくなります。

元オットのような悪いヤツと結婚してしまった自分に対して、なぜ、もっと慎重にならなかったのか、とか、
自分が決めたことだから自己責任だよね、と自分に言い聞かせてみたり、
しょーもない(=取るに足らない、くだらない)ヤツ(元オット)の為に一所懸命努力していた自分が本当に情けない、とか、
でも、DV支配されて自分の意見を考えられなくなってたのだから仕方ない、などなど。


恥ずかしいという気持ちも有る。性犯罪に遭ってしまった私、夫から暴力を振るわれた私、・・・。

辱めを受けた被害者側が、恥ずかしいという気持ちを抱く。
どす黒くて、胸の奥がざわざわするような、複雑な気持ち。


長年、クヨクヨと、ぐるぐる考え続けてきました。
ほんとにグルグルグルグル。恥ずかしいやら情けないやら自己責任だとか、いやいや開き直ろうよ、とか…。
こんなグルグルをずーっと抱えて生きていくのは、しんどいなぁ。

自分の人生は自己責任なので、人のせいにしたくない。

でも、どう考えても、20年間の体調不良は、元オットとの結婚生活が大きな原因になっていると思います。

DV男と結婚した自分の責任。


でも・・・。やっぱり、元オットとの結婚は【不可避】だったと思うのです。
そもそも、事の始まりは、私が中学生の時に、先生(後の元オット)からの性被害。
自分のせいだと自分を責めなくても、もう、良いんじゃないかな。
ああ、でも、それ(不可避)も、自分の失敗に対する「言い訳」なんじゃない?、とグルグル…。


客観的に見れば何度か逃げるチャンスは有ったのかもしれないけれど、
DV支配下では、正常でベストな判断を下すことができなかった。

長年の体調不良で、気力が尽き果てた。

体調不良と闘いつつ、明るく前向きに、我が子たちとの生活や仕事に励んできましたが、今から2年前、更年期からか、とうとう、心身が動かなくなってしまいました。

ついに、「気力」が尽き果てた、と感じています。


動けなくなって、元オットの悪行をブログとして書き残していこうかな、と思いました。
自分の中だけに留めてある過去を吐き出せば、スッキリするかもしれない。
(しないかもしれないけれど。)


というのは、
私は、今まで(元オットと出会ってから約40年間)、
元オットや元オット関係の人々の悪口をほとんど言ったことが無いからです。


「人のことを悪く言うのが苦手です。」に続きます・・・



PTSD(Post Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)

[2023年2月20日加筆]

PTSDという言葉は、阪神・淡路大震災の頃から周知されてきたと記憶しています。

PTSD|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省
こころの病気といっても、種類も症状も様々。病名をつける方法は体の病気とは考え方が異なり、主に症状や持続期間、生活上の支障などから診断名をつけます。
PTSD
心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic Stress Disorder)の略です。生死に関わるような体験をし、強い衝撃を受けた後で、その体験の記憶が当時の恐怖や無力感とともに、自分の意志とは無関係に思い出され、まだ被害が続いてい...


この厚生労働省のページを読むと、
あ~私、PTSDだわー
と納得できるのですが、
当時(20年程前)は、ここまで詳しく説明されているウェブサイトは無く、
私が得た知識は、

  • 戦争や大災害など生死に関わる体験によって起こる
  • フラッシュバックという症状が出る

などといった簡単なものでした。


離婚裁判の時、弁護士さんやカウンセラーさんから「PTSDだと思うよ?」と言われても、
自分ではピンと来なかったんですよね。
というか、上述の簡単な知識しか無かったので、戦争経験者でも無い私ごときがPTSD患者を名乗るなんて、おこがましいと思って。
・・・実際はオットから人間扱いされていなかったし、命の危険に晒されていたのだけれど、既に感情が麻痺していたために自覚できていなかったのです。

また、フラッシュバック症状も思い当たらなかったし。
・・・上記厚生労働省のHP他では、
侵入症状=再体験」と書かれてあります。
でも、当時は、「フラッシュバック」という言葉が前面に押し出されて紹介されていたんですよ~。
フラッシュ=閃光、なので、雷に打たれたようにトラウマ記憶を思い出す症状だと理解していたんですよ、私は。


ーーーというふうに、当時の私はイマイチ自覚できなかったのですが、
心療内科の先生は「PTSD」と診断して下さいました。


1年ほど前に、離婚裁判時からお世話になっているカウンセラーさんとお話していて、
雷みたいじゃなくても、自分の意思と関係なく急にトラウマ記憶が蘇ることを『侵入』とか『フラッシュバック』って言うのよ。」と教えてもらいました。

20年前に『フラッシュ』ではなく、『侵入』という説明が有ったら、自分がPTSDであることを受け入れていたかもしれない。


トラウマ記憶が蘇ることなんて、しょっちゅうですよ!
オットからダメ出しされたことは日常生活と直結しているので、「あ、これも怒られたな。」と思い出すことがたくさんあり過ぎて。
例えば、やかん、歯磨き、目覚まし時計、居酒屋での注文、・・・etc.

怒られたことだけでなく、元オットの言動も多々蘇る。
オットが日常的にアルコール(ギルビー、タンカレーなどのジン)を瓶ごとラッパ飲みしていた様子とか、毎朝TVニュースを見ていた表情とか、砥ぎ石で包丁を長時間かけて研ぐのが好きだったこととか。

犯罪ニュースを見て、「容疑を否認しています」とあれば、元オットと同じやなと思って憤り、
「容疑を認めています」ならば、そこだけは評価できるな、等と考えます。

デジタル時計の時刻をふと見た時に元オットの誕生日と一致していると、「ゲッ」と不快になる。


これ、もう、「呪い」ですよ。


記憶の引き金が身の回りの至る所にある。
頻繁に思い出して気分が悪くなる。
その度に、「今現在は、本当に平穏だなあ」と、自分に言い聞かせます。


DV元オットのことは、今でも怖いです。

今はもう安全な場所にいて、攻撃されるわけではないのに、怖い。


私は震災を受けて住居も半壊だったけれど、トラウマにはなっていない。
そりゃあ震度3の揺れが有るとびっくりしてしばらくドキドキはするけれど。

とにかく、安全なはずなのに、急に怖くなって背筋がゾッとする。
身体全体が覚えている感じ。




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