DV離婚が成立してから、十数年、経ちました。
当時を振り返り、元オットの悪行の数々を書き残していこうと思います。
人物名は仮名(かめい)、正確な年月日や住所・地域は伏せています。
自分の心を守ろうとしたが、思いっ切り裏目に出た
概要に記したように、中学2年生の時に、部活動の副顧問から「性暴力」を受けました。
当時の私は混乱しつつも、先生からの好意を誠実なものであると自分に言い聞かせました。
高校、大学へと進学し、先生に対して、不快・不潔・嫌悪といった感情を自覚するようになっていきましたが、それは自分が穢されたのを認めることになります。
その葛藤から逃れるために、先生のことを「私を気にかけてくれる兄のような良い関係の相手なのだ」と、無理矢理、自分に言い聞かせ続け、年に数回、連絡を取り合っていました。
先生に対する恋愛感情は全く無く、私自身の心を守るためです。
このように、男女の関係として交際していたわけではなかったにも関わらず、
私が25歳の時、突然、先生から、しつこく求婚されました。
結婚して幸せになれば、自分の心の葛藤から解放されると考え、熟考の末、プロポーズを受け入れましたが、大きな間違いでした。
結婚して私のオットとなった先生はDVを繰り返し、
それでも、私は、生活を守るためにオットを最優先するよう努めました。
周囲からは幸せそうな家族だと見えるよう演じていたかも。
これは、私の見栄ではなく、そうしなければ、オットの機嫌を損ねるから。
それに加えて、自分自身に幸せなのだと思い込ませるためでもあったと思いますが、外側の形を繕っても、内側に押さえ込まれた恐怖心は消えるどころかトラウマ記憶となり、歪みが生じてくるのは必至です。
結果、私の心身は壊れてしまいました。
DVオットは、自分の暴力や支配を、愛情からの「指導」であると正当化する
オット側は、夫婦関係、上手くいってると思ってたんじゃないかな。
新婚当初こそ私は自分の意見を持ち、オットに対して反論などもしていましたが、怒鳴る殴る暴れるオットに疲れ果て、すっかり従順な妻になっていたので。
オットからしたら、自分の「指導」が功を奏したと鼻高々だったに違いない。
実際には、「従順」なのではなく、諦めの境地による「無気力」。
DVオットの顔色を伺い、言動に神経を尖らせ、心から楽しめることも無くなり、幸せも感じることなく、毎日ビクビクと怯えながら生きることに疲れていました。
裁判では、オットは「自分が我慢してた」なんて供述してたけど。
上手くいってると調子に乗っていたところに、飼い犬に噛まれた気分だっただろう。
飼い犬(この場合、私)は、鎖に繋がれて暴力を振るわれ、恐怖心からオットに服従していた。
オットは愛情を注いでいるつもりだったかもしれないが、「怒鳴る殴る暴れる」は愛情ではなく「支配」である。
暴力は、愛情ではなく「恐怖」を植え付ける。
DV加害者は、「支配」を愛情と履き違えている勘違い野郎。
DVオットは強い承認欲求を持っていた(本人は無自覚)
振り返って考えると、DV元オットは「思いやり」の心を持ち合わせていなかったと思います。
これは、根拠の無い悪口なのではなく、本当に、冷静に見て。
元オットの言動は全て、「思いやり」ではなく、「強い承認欲求」が根底に有ったと思います。
例えば、オットは、近しい友達の職業や収入と比較して、自分のほうが秀でていることを私に自慢しました。
大切な友達を卑下することは、私には考えられない。
自分の仕事ぶりなどの自慢も多かったです。
また、オットは母親と同居することを考えていて、当時の私は、それを「長男としての責任、母親への愛・感謝」だと受け止めていました。
けれども今考えると、「母親の面倒を見る親孝行な長男」として、母親や姉たち、周りの人から認められたかったのだと思います。
オットは私によく言っていました。「母ちゃんが死んだら、母ちゃんの持ち物は全部オレ等のものになるねんから。」
↑これは私には無い考え方でした。
と言うか、「死んだら」という仮定を口にすることが耳を疑うものでしたが、自分が40歳過ぎて母親が70歳代であれば、そういう考え方をするようになるのかな?と、当時は納得しようとしました。
でも、今、私は50歳過ぎですが、やっぱり、お母様がお元気なうちは、そんな仮定は口にしたくないかな。
その時が来てから慌てて対応するのが、「本来の私らしい」やり方だと思う。
まあ、現在の私には、姑は居ないので、そんな心配は無用なのですが!
DV加害者は外面(そとヅラ)が良いヤツが多いらしく、元オットも例に漏れません。
「認められたい褒められたい」気持ちを巧く隠して、偽の「思いやり」に見せかけることに物凄く長けていたと言えます。
周りの友達や職場の同僚たちも、騙されてたんだろうなあ。
もしかしたら、冷静に、本性を見抜いていた賢人もいらっしゃったのかもしれないけれど。
騙されていた人は「思いやり」の心を持つ善人だから、まさか持ってないヤツが存在するなんて考えもしない。
DV加害者が心無い言動をしても、「何か事情があってのことかも」と慮ってしまうの。
見抜いていた賢人は、表面上だけの付き合いをしたり、距離を置いたりするだろう。
また、同じようなDV気質の友達や同僚同士なら、自慢話に花を咲かせるかもしれない。
※本来なら「人」と書くべきところを「ヤツ」と表記しています。
「思いやり」の心を持たない者を「人」として認めたくないからです。
同じ理由から、「人間性」という言葉も使えないので、「元オットの人間性を疑う」と表現したい場合は、どう書けば良いのだろう?
DVオットは劣等感の塊(本人は無自覚)
妻を自分の思い通りにコントロールし、周りから「良く出来た妻を持つ男」として認められたい欲求が強かった元オット。
「妻は自分の言う通りに従っていれば間違いない、間違いなく必ず幸せになれる」と本気で思い込んでいるDVオット。
どっから来るん?その自信、という感じですが、そういうDV加害者って、本人は全く自覚していないけれど、実は劣等感の塊なのだと私は思うのです。
だから、友達や妻をなど周りの人を見下すことで優越感を得ようとする。
DVオットにとって、友達や妻は、自分の承認欲求を満たすための道具でしかない。
DVオットは、自分の暴力を妻のせいにする
そんな勘違い自信家であるDVオットが、飼い慣らしたはずの犬(私)に噛まれ、更に保護命令を申し立てられたのだから、憤慨するのは当然です。
保護命令申立事件の裁判での陳述書で、DVオット「これ以上の侮辱を受けたことは私の人生ではありません。」って。
顔を真っ赤にして逆上しているのが、目に浮かぶわ…。
いやいや。
侮辱を受けてきたのは、中学生なのに身体を触られた私、暴力を振るわれた私、です。
自分のしてきた犯罪行為を顧みずに、夫婦関係が壊れたのは全て妻(私)のせいだと言える神経。
図々しいというか、頭の中お花畑というか。
呆れる。ダサい。
被害者である私は、お人好しのおバカさん
そのような元オットに対して、私はと言えば。
中学時代から40年近く経った今、離婚裁判の成立から15年以上経った今、
「あれ? 私、全然、悪くないよね? 恋愛経験の無い中学生女子に手を出す27歳男がオカシイよね? 犯罪だよね?」
「妻の顔をボコボコに殴ったり、妊婦(私)のポニーテールを掴んで庭の砂利の上をズルズル引き摺ったり、住居内の引戸や壁をバキバキに叩き割ったり、台所に灯油を撒いたり、って…。犯罪ですよね? 暴行罪?傷害罪?サツ人未遂?放火未遂?」
「突発的に常軌を逸した言動をするDVオットと生活を共にしていたら、心身に不調をきたすのは当たり前だよね?」
と、やっとこさ断言できるように。
- 中学時代は先生(=後のDVオット)からの好意を信じようと努め、
- 高校、大学時代では、先生と良好な関係を続けることが正しいのだと自分に無理矢理、思い込ませ、
- 結婚してからは、オットが暴れるのは自分が至らないからだと自分を責め続け、
- 裁判中や離婚後数年間、元オットがDV気質であったり強い承認欲求を持っていたりするのは、成育過程において何か問題が有ったのだろうか?と慮ってみたり、
等々、私はお人好しのおバカさんなのです。
だからと言って、暴力を振るわれても良い存在ではありません。
逆を言えば、加害者は独特の鋭い嗅覚で、お人好しのおバカを選んでいるのです。
お人好しであることは、悪いことですか?
私は、自分がお人好しなおバカだったことを情けなく思い、悲しくなります。
加害者との出会いが無ければ、と考えると、絶望感に苛まれます。
純粋で未発達な中学時代の私に性暴力をはたらき、私の人生を狂わせた加害者のことを許せません。
やっとこさ、被害の声を上げていこうと思えるようになってきた
わいせつ教師による性暴力、また、家庭内暴力・DV・虐待など、
近年、やっと、世の中で社会問題として認知されるようになってきたけれど、被害が無くならないのは何故?
刑罰が軽すぎるからでは?
いじめ(=暴行罪)も然り。
そして、時効が短すぎる。
被害者が、「自分は被害を受けていた」と認識するのに、時間がかかる。
認識できても、なかなか被害を打ち明けることができない。
被害後、時間が経つと、証拠が不十分になってくる。
また、これらの犯罪は閉ざされた場所で行われるので、もともと証拠自体が多くない。
私の場合、ずいぶん時間が経過しましたが、
自分の受けた被害を人の目に触れるところに公開したほうが良いのではないかと、ようやく思えるようになってきました。
「今更?」と思われるかもしれないけれど。
自分でも、「今更かもなぁ」って思うこともあります。
けれども、実際、「今、やっと」なのです。
被害の声を上げていかなければ、誰にも届かない。
私がこのまま口をつぐんでいると、元オットの悪行が永遠に闇に葬られてしまう。
性暴力の根絶を強く望む
安全なはずの学校で起こる性犯罪、DV加害者の狡猾な言動など、私が受けた被害や体験をこのサイトに書き綴っていきます。
私の文章が世の中の人々の目に触れることで、「一般社会に、こんな悪い奴が紛れ込んでいるのだ」という注意喚起になるよう、少しでも貢献できればと思います。
もっと言えば、犯罪者は、きちんと裁かれてほしいです。
今後の犯罪の抑止につながるよう、「魂の殺人」を犯した者には重い刑罰を科してほしいです。
被害に遭う人や悲劇が無くなることを願っています。