中学2年の秋〜冬頃、
V先生から、愛の告白もなく「付き合ってる」?
に記しましたが、
部活の帰りなどに、V先生(後のDV元オット)にドライブ等いろいろ連れていってもらっているうちに、
なぜか、いつの間にか、V先生と男女交際していることになっていました。
当時13歳のワタシ的には、それまで、学校の先生と男女交際するなんて、全く考えたこと無くて。
混乱しているうちに、トラップに嵌められたという感じ。
車やバイクでのドライブ
いろいろ連れていかれたけれど、基本的には人の少ないところ。
ドライブがメイン。
たまにバイクで出かけることもあった。
もちろん、私はバイクの後部座席に乗る(いわゆるニケツ)のは、V先生のバイクが初めて。
「どうやって乗るん?」
「後ろから抱きついてしがみつくように」と教えられました。
V先生は大きなバイクに乗っていた。この頃はナナハンだったかなあ。
バイク(自動二輪)の昔の免許は、排気量関係なく大きなバイクに乗れるのだと言っていた。
大体は、車でドライブして、山の中、波止場、墓地、などに車を停めて、のんびりする、というパターン。
山道のドライブ
山道のコーナーを全て記憶していると言う。
当時、中学生である私は、「スゴーイ!」と純粋に感心して、ニコニコと感想を述べていた。
(現在の私からすると、婚姻中の経験から、元オットの強すぎる承認欲求を知っているので、「中学生女子に対して自慢するなんて、ダサいよな〜。」と斜に構えてしまう笑)
ハタチ前後の頃、バイクや車の機械部分を触っては、山などを走っていたらしい。
確かにV先生はいろんな道を知っていて、スゴイなーと思っていた。
(いや、家に自動車の無い中学生の私が、道を知らないだけだったかも。)
当時、私が住んでいた住宅街でも、夜中に時々、パラリラパラリラ〜とバイク?の音を聞いていたので、学生時代のV先生もそんな感じでバイクを走らせていたのかしら?と思いを巡らせた。
墓地
いや、墓地に連れてかれた時は、びっくりしたよ。
昼間だからオバケとかは出ないかもしれないけど、いろんな人のご先祖様たちが眠ってらっしゃるところやん。
と、中学生くらいなら思うよね。
オバハンになった今でも、お墓は神聖なところだと思っている。
お骨は単なる物質でしかないけれど、やっぱりあの墓地のしんと静まり返った空気は背筋をしゃんと伸ばしたくなるというか、心洗われる場所だと思う。
そういう場所を逢引に使うなんて。。。どうなんだろう?
ウチのお墓のある(※注)公営の墓地は、車で40分くらいかな。
まさか、お墓参り以外の目的(しかも、わいせつ教師に連れられての逢引)で訪れるなんて、考えたこともなかったわ。
V家のお墓は、車で10〜15分くらいの大きな霊園。というか、逢引に使っていたのは霊園じゃなくて、その近くの斎場のほうの脇道だったかも。
車を運転しない中学生の私には、よく分からない場所へ連れていかれてたというワケです。
※注…ウチ(セキタ家)のお墓、今は別の場所です。婚姻中にオットの勧めで移動させました。結婚生活編で記述する予定です。
サングラス
ドライブに行く時など、サングラスを渡されて、かけさせられた。
おそらく顔を隠すため。
→あまり見かけない車種だったので(車のことなど参照)、車を見ただけでV先生だと分かるはずだから、サングラスによる顔隠し効果はあんまり意味が無かったと思うが。。。
それでも、第三者から見て、V先生は認識できても隣にいるサングラスをかけた中学生女子を特定するのは難しいのかも。
実際、私が高校生になってから街でV先生を見かけた時、V先生にぶら下がるように腕を組んでいた女の子(おそらく私より年下の中学生)は黒いサングラスをかけていて、顔は分からなかった。知らない女の子だし。
Vは、サングラスや伊達メガネが好きなようで、たくさん持っているようだった。
1000円くらいの安いものが多かったが、
「コレはエエやつやねん。」と、
レイバンのサングラスを嬉しそうに見せられたことも。
こんなやつ↓
私や上記の女子中学生がかけさせられていたものは、こんな形↓
(当時(40年くらい前)は、この商品のような偏光レンズは高価だったので、実際はもっとチャチくて安いヤツです。今なら300〜500円くらいの。)
自分は視力が良いからメガネに憧れている、とVは言っていた。
小学4年生の時からメガネをかけている私としては、とても羨ましい話だった。
(中2の途中からコンタクトレンズにしました!)
V先生は、トンネルの中などでサングラスを外す時は、ツルの部分を口で咥えていたなー。
アンリ・シャルパンティエ
アンリ・シャルパンティエに初めて連れて行ってくれたのも、V先生だった。
芦屋の本店に連れて行ってもらったような気もするのだが、記憶がはっきりしない。
覚えているのは↓
阪急御影駅の北側に「御影ガーデンシティ」というレストランビルがあるのですが、
当時、その1階にアンリ・シャルパンティエの店舗が入っていました。
そこで、「クレープシュゼット」というお菓子をご馳走になったのです。
テーブルの傍で、シェフがクレープにリキュールをふりかけて、ブオッって炎を上げる「フランベ」ってやつですよ!
感動したわ〜〜。
見るのも食べるのも初めて。
そんなオシャレなお店も初めて。
(中学生ですから)
ま、アンリはお高いからか、V先生には1〜2回くらいしか連れてってもらってません。
アンリ、美味しいよね〜〜。
どのケーキを食べても、間違いない!
公園
私の父が入院している病院の近くに、広い公園がありました。
遊具などは置かれておらず、平日は人気(ひとけ)があまり無かったです。
V先生が「この公園、オフコースの『秋の気配』の公園に似てると思わん?」と言う。
♪あれがあなたの好きな場所 港が見下ろせる小高い公園♪
※注意 『秋の気配』の舞台、実際は横浜の公園だそうです。
(V先生はロマンチックな人なのかもしれん。。。私も合わせなきゃ)、と思いました。
また、Aコテージ(仮名)という、高台にある喫茶店に連れていってもらった時、
ユーミンの歌の歌詞、
♪ソーダ水の中を貨物船が通る♪
にピッタリだと思いました。
※注意 『海を見ていた午後』に出てくるのは横浜のレストランです。
歌詞の中に、店名も出てきます。
♪山手のドルフィンは静かなレストラン 晴れた午後には遠く三浦岬も見える♪
このAコテージ、ほんとに高台なので、車やバイクじゃないと行き難くて。
そばに、「サナトリウム」と書かれた建物があり、中学生である私は、(サナトリウムって何だろう??)と思いました。
サナトリウムの意味を知ったのは、ハタチを超えてからかな。
大学生になってから読書が好きになり、宮本輝さまの作品を読んで。
その高台のふもとのあたりにあるA愛児園(仮名)という幼稚園に通っていたのだ、とVは言う。
「家からめっちゃ遠いやろ?(電車・バスを乗り継いで1時間くらいかかったと思う。) あんまりにも悪ガキやったから、なんとかせんとアカンって心配されて、ここまで毎日通っとってん。伯母ちゃんに連れられて。」
と説明していたけれど、どこまでホンマなのか、よう分からん。
悪ガキやったら、なんで遠い幼稚園に通わなアカンのか、と疑問に思ったけれどツッコまず、「え~? 悪ガキやったん?」と楽しそうに応対した。
普段の私は、うるさいくらいの喋りだったのだけれど、先生と二人っきりになると、なぜか思ってることを言えなくなるのよ。
借りてきた猫みたいに。
考察1:緊張
V先生と二人っきりの時に「借り猫」状態になってしまうのは、多分、緊張していたのだと思う。
まず、
- 私にとって、「初めての彼氏」だったから
初めての彼氏じゃなくてもお付き合いの初期では緊張するものだと思うが、
当時の私(13歳)は恋愛経験ゼロなので、どんな話をすれば良いのか、どんな反応をすべきなのか、等々、全く分からない。
(なので、私からは部活の話をよくしていたと思う。共通の会話だから。でも、私が明るく喋っていても、車のシートを倒されて、口を塞がれてしまうんだなー。。。こういうのが男女交際なのか?と混乱する。)
とにかく、全てV先生任せで、ニコニコと対応するよう心掛けていたので、緊張していたと思う。
ガッチガチの緊張状態では無いけれど。
そして、
- その「初めての彼氏」が14歳も年上で、しかも「先生」だから
そりゃ、緊張するでしょ。「先生」だもの。
「先生」は正しい大人だと思っているので、自分の抱く違和感に自信が持てない。
やっぱり、自我形成中の中学生に、大人が性的目的で手を出しちゃイカンのですよ。
Vに対しての私の緊張は、10年くらいかけて徐々に緩和されていったけれど、それでもV先生と会った時はいつもの自由な自分ではなく、どこか遠慮していて、相変わらずニコニコ対応していました。
それが、まあ、Vと紆余曲折で結婚することになっちゃって(概要を参照)、
「結婚生活では、こんな遠慮がちな私じゃ、だめだ」と思ったのです。
「夫婦になるのだから、自分の考えていることもちゃんと言わなくちゃ。」と。
→Vは、それが気に入らなかったんでしょうなあ。
中学時代のような従順な私を期待していたんでしょうなあ。
中学時代の従順なままであるわけないやろっ!
十数年で、こっちは心も成長してるんやで!
その間、元オット(V)は、中高生女子(自分の卒業生)ばっかりに手をつけて、大人の女性との対等な交際をしてこなかったから。
ダサっ。
いや、大迷惑や。害悪や!
オットとなったVは、妻である私の意見(心)を否定し、自分の主張を通そうと暴れまくり。
→結局、私は、結婚しても、自由に発言できなくなった。
独身の時は、Vが「先生」で「大人(だと思っていた)」だったから、私は緊張して遠慮していた。
結婚して暴力を振るわれてからは、「怖い」から遠慮して・警戒して、常に緊張していた。
考察2:モヤモヤした違和感
上述の「VがA愛児園(幼稚園)に通っていたこと」について。
「悪ガキだったから、家から遠い幼稚園に通わされた」というV先生の発言に疑問を感じた時、「V先生が着ていた手編みのセーター」で記述した、手編みのセーターについての問答の時と似たような違和感を覚えたのです。
どうして、本当のことをストレートに言わないんだろう? と。
元オットは、こういう「含み」のあるような言い方をするヤツでした。
まあ、たぶん、本人としては、それがカッコイイくらいに思ってるんだろうけど。
当時、中学生の私の周りには、そんな言い方をする人間は居なかった。
そもそも中学生くらいの年頃って、素直で、直球勝負やん。
そりゃ、カッコつけたような言い方をする子も居たけれど、「含み」なんて無くて、分かりやすかった。
そんなワケで、V先生の「含み」のあるような言動は、私には未経験のことだったので、理解できなかった。
その「モヤっ」とした気持ちをどうしたら良いのか分からなかった。
今の私なら、そういう物言いをされると、友達や同僚などに対しては、冗談っぽく
「それ、ホンマなん? ちょっとよく分からないんだけど? もうちょっと説明して?」
って追及できる。
「何カッコつけてんのよ(笑)~?」
って言える。
元オット以外には、ばんばん言えるのに。
そういう普通の人達って、ちゃんと冗談が通じる人だ。
こっちがツッコんだら、てへぺろで返してくるような、愛嬌のある人たち。
でも、元オットは違う。
元オットに対しては、今でも言えないと思う。
怖いから。
おそらく、元オットは自分のほうが格上だと思っているから、私の冗談やツッコミを許せないのだと思う。
元オットは、まじで怖いんです。
「性犯罪が美談にすり替えられる?」に記述しましたが、「八重歯をわざと見せる作り笑い」が本当に怖い。
私は、大人になっても人間関係の駆け引きを考えるのは苦手で、誠意で対応していこうと思ってきた。
そのような直球勝負!の人間は、元オットみたいな「駆け引き大好き」なヤツと関わってはいけなかった。
いや、関わろうと思う云々以前に、教師として赴任してきたのだから、避けられない事故だった。
そもそも、27歳の年齢的には十分な大人が、中学生に手を出すこと自体が犯罪。
直球タイプの中学生に、「駆け引き大好き」なヤツが手を出すという計画的犯行。
教師としては、どうなんだろう?
私が生徒だったら、先生の指導もストレートであってほしいけど?
思春期の教育現場での人間関係(先生と生徒)は、心と心のぶつかり合いであってほしいと思うのは、やっぱり私の甘い考えなのかなあ。
考察3:V(元オット)の幼稚園について
「私の気遣いが、まずかったかもしれん。。。」に書きましたが、
V(後のDV元オット)の家の敷地内(正しくはVの伯母の敷地)には「幼稚園の跡地」が有り、
伯母が、保育士の資格を得た義娘(=Vの次姉)のために作った幼稚園なのかなと私は考えています。
よって、V(元オット)が幼い頃は、敷地内の幼稚園は存在しなかったでしょう。
で、その伯母が、甥であるVを片道1時間もかかるA愛児園にわざわざ通わせていたということは、
A愛児園の関係者だったからかな?と。
もしかしたら、伯母自身も保育士だったのかもしれないし、
単にA愛児園のスタッフさんと知り合いだからという理由かもしれないし、
A愛児園の評判がすこぶる良いために入園を強く望んだのかもしれない。
また、伯母は、当時、自分が養子縁組するのは、甥であるVだと思い込んで、ベタ可愛がりしていたのかもしれない。
(実際にはVの次姉が養女に。登場人物紹介を参照のこと)
そんなふうに、
結婚して7年半一緒に生活したけれど、オットからは、なーんにも聞いていない。
オットを好きになれなかったから興味が湧かないというのもあるし、DVが怖くて常に機嫌を伺っていたので、私からアレコレ質問するということが無かったのよ。