V先生の自宅の敷地内にある幼稚園跡地
部活動が終わってから、その頃は、隣の市へのお稽古に一緒に通っている友達数人と下校していました。
お稽古が無い日も一緒に。
毎日毎日くだらない話をしながら、大笑いしてたな。
中学2年の2学期の、ある平日、部活が終わってから、理由や経緯は覚えていないのだけれど、
副顧問であるV先生(後のDV元オット)が、「先生(自分自身のこと)の家の敷地内に、幼稚園の跡地があるから、ちょっと寄って行かへんか?」と言う。
友人のNNちゃんと一緒に、V先生に付いていった。V先生の車で。
黒いグランドピアノ
「幼稚園の跡地」という室内は薄暗い印象だった。蛍光灯が青白いから?
部屋の真ん中に、黒いグランドピアノが置かれてある。
壁際に積み木などの玩具があって、NNちゃんと私はそれらを見ていたら、V先生がピアノを弾き始めた。
弾きながら、歌ったりもしていた。
V先生のピアノは、独学だな、と思った。
私は小学校1年生の頃からヤマハの音楽教室(生徒10人くらいで、楽譜や和音を習い、オルガンを弾く)に通っていて、高学年の頃にピアノの個人レッスンに移ったのだけれど、運指練習が苦痛で苦痛で。。。
でも、音のツブって言うのかな、一音一音、均一じゃないと美しくないというのは理解できる。
ちゃんと練習していないと、カタッ、カクッ、て躓いたような音になってしまう。
だから、素人の独学であることはすぐに分かった。
まあ、中学2年のこの頃には、上記のお稽古以外の習い事(ピアノ、合唱団、塾)は全部辞めちゃっていたので、エラソーなこと言えないのですが。
V先生がギターを上手に弾くのは知っていた。
ギターを弾きながら歌う。
土日や夏休み中などの部活の時に、聞いたのだと思う。
私は小学校の高学年の時に、ギターを弾けるようになりたいと思って、お年玉でフォークギターと付属品と初心者本を購入し、独学で練習したことがありました。
かなり練習したのだけれど、どーしてもFコードを押さえられなくて、諦めました。悲しかった。
今から考えると、握力が平均未満だったからだと思います(「私の運動音痴っぷり」参照)。
そんなふうにある程度の知識があったので、V先生のピアノは、コード(和音)だな、とも思った。
アルペジオを弾いていたけれど、それもピアノとギターで基本は同じだし。
V先生は、足のペダルを上手く使っていた。
一番右側の、音がのびるやつ。
私は、あのペダルを使う前に、ピアノを辞めちゃったけど、あのペダルは憧れだったわ~。
この時に思ったのは、
一番右側のペダルを使うと、音のツブの乱れを巧く誤魔化せて、素人でも情緒的な感じで聞かせることができるのだなと。
もちろん、すぐに巧く使えるものでは無いので、V先生は独学ながら、かなり練習したのだろう。
(なんたって、大学生時代が7年間もあったのだから、練習する時間はたくさん有っただろう、と現時点からの推測。)
ーーーなどと、中学生なりに冷静なことを考えていたのですが。
ここで、どうしてNNちゃんが一緒に居たことを確実に覚えているかと言うと。
彼女は、幼稚園跡の室内の小さな玩具(積み木、おままごとセットなど)をすごく喜んでいて、それが印象に残っているから。
V先生がピアノを弾き始めたので、「先生、スゴイ~。ピアノも弾けるん?」と、二人でピアノの傍に寄っていったのだけれど、しばらくするとNNちゃんは玩具のほうに戻った。
そして、「キャー、これ懐かしい~、カワイイ~」と嬉しそうにはしゃいでいた。
私は、(えっ? 先生がピアノを弾いているのに、放ったらかして遊んじゃってもいいの? 失礼にあたらないかな?)と思ったの。
私もNNちゃんと一緒に遊びたいけれど、私だけでも、ちゃんと聴かなきゃ。と思って、V先生の傍で、フンフンとリズムに合わせて首を振ったり、小さく拍手したりした。
こういうのって、すごく気疲れする。。。
思えば、この気遣いが、結果的に仇となったのかも。
これが、V先生(後のDV元オット)から性犯罪のターゲットにされるキッカケになったかもしれない。
でも。。。私がターゲットにならなかったら、他の誰かが被害者になっていただろう。
体育館のピアノ
そういえば。
中学校の体育館(兼、講堂)のステージ上に置いてあるグランドピアノをV先生が触っていることもあったわ。
(自分はピアノも弾けるねんで、という自慢アピールだろうと現在の私は思う。)
私たちの部活は週に2回くらい体育館を使うことができて、その時はステージ脇で着替えていたこと等を「部活動のこと」に記しています。
体育館での部活が終わって、着替えも済んでからだったかな。
V先生がグランドピアノを弾き始めた。
(中学生の私たちは、そのグランドピアノの鍵盤蓋を開けるようなことは殆ど無かった。
なんとなく暗黙のルールで勝手に触っちゃいけないって言うか、たぶんあんまり興味も無かったのだと思う。)
どういう経緯か忘れたけれど、
V先生が弾く音を、響板側に居る私が答える、っていう遊びみたいなことになって。
当時、私は、ピアノの音なら何の音か答えることができたの。
絶対音感って言ったらカッコイイけど、私が答えられるのは『ピアノの音』に限る。
ピアノの音なら、たとえばC音なら「ドー」ってカタカナで聞こえるのよ。
(音楽から遠ざかっている現在の私は、ピアノの音を聞いても答えられなくなってしまっています。)
V先生は「スゴイな〜」って感心してたけど、
小学生の時からピアノを習っていたら(上述したように、私はオルガン教室のほうが長かったけれど)、普通にできることだと思うので、自分ではスゴイとは思っていなかった。
・・・という些細な記憶も残っています。
現在の視点からの考察:V(元オット)の家の敷地内にある「幼稚園の跡地」について
上述のV(後のDV元オット)の家の敷地内にある「幼稚園の跡地」、正しくは伯母の敷地、です。
(もっと正しく言うと、伯母が地主から借りている土地です。)
なので、敷地内の幼稚園は、伯母が経営していたのかも?
そこらへん、説明してもらってないんです。
登場人物紹介に記したように、Vの次姉が小中学生の時に、この伯母の養女になり、成人後、幼稚園の先生をしていたそうです。
もしかしたら、伯母が義娘(=Vの次姉)のために幼稚園を作ったのかもしれない、とも考えられます。
もしそうなら、それは過保護では無いか?とも思うけれど、実の娘では無い故、お金をかけることで愛情を示していたのかも。
それに、小さな幼稚園に『グランドピアノ』って、ちょっと不釣り合いというか。
まあ、伯母が本物志向だったからなのか、見栄からなのか。。。
等々、全て私の憶測でしかないですが!
Vの次姉が、実際にこの幼稚園で働いていたかどうかも、聞いていません。
ほんっっとに、私、元オットから、なーーんにも聞かされてないんです。
私から尋ねることも無かったし。
上述の、ピアノの運指練習。
これ!この緑色のテキストが、憎かった~~。
(新訂 ピアノのテクニック)
閉じた状態でもB4サイズという存在感。
第1刷は1952年発行。歴史あるテキスト。
子どもの時は、本当に、練習がキライだったけれど、きっと、今弾くと楽しいんだろうなあ。
「基本が大切」って、子どもの頃は深く理解できていなかった。
いろんな経験を重ねていくうちに、身に沁みてくる。