求婚を受け入れた理由の一つ

carnal abuse はじめに
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私が中学生の時に先生(後の元オット)と交際したこと(実際は教師からの性暴力。当時は恋愛であると信じようと努めていたが不信感も抱いていた。)を自分の「人生の汚点」だと十数年、不快を感じ続けていたところに、先生から突然のプロポーズがありました。
何度も断りましたが先生からの説得が続き、私は検討せざるを得なくなっていきました。
元オットは本当に狡猾な口巧者


結婚して幸せになれば、この「汚点」を昇華させることができるのではないか等の熟考を重ねたことを、「概要」と「性犯罪の被害者は、被害について打ち明けられない。」に書きました。

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もう一つの理由


元オットが、私の生前の父母と会ったことのある、数少ない知人の一人だったから、というのも、求婚を受け入れた理由の一つかもしれません。

と言っても、父母の思い出をヤツ(元オット)に語りたかった訳ではないです。

実際、私は、人に、父母の話をあまりしません。

伯母が母(伯母にとっての妹)の「思い出」話をしてくるのもイヤで、話題を変えたりしてそれとなく避けていました。

自分の中に、大切に仕舞っておきたかったからです。

でも、夫になる人が、生前の父母を知っている、ということが、私にとって心が温かく感じるというか、何か安心感があるような気がしたのです。
結果的には、とんだ思い違い。

病床の父と

中学生の私と先生(後の元オット)との関係を心配した私の母が、校長先生に申告したことは、「加害者は、嘘をつく。」に書きました。

この時、母は病床の父にも相談し、校長先生を訪ねたことについて、父は、
「それで良かった。お母さん(私の母)は、間違っていない。」と言ったそうです。
父は、病床で、先生(元オット)のことを憤慨し、「いっぺん連れてこい!」と母に言いました。
母からそのことを聞いた私は、先生に「父が会いたがっている」と伝えました。

父は、私の前では先生の話は一切しなかったし、いつも穏やかでした。
そんな父が怒っていることを母から聞いていたので、先生を父の病室へ連れて行った時は、私はハラハラしていました。

父は、もう身体を起こすことはできなかったので、「(病室のベッドに)横になったままで申し訳ない。」と最初に言いました。
先生(後のDV元オット)は、誠実そうな表情を作って、私の父と対面していました。

この後、どんな話をしたのか記憶にないので、私は席を外したのだと思います。

母と先生(元オット)、それぞれに尋ねると、
「『ミヤコをよろしく』というようなことを二言三言、話した。」という内容だったと思います。

(もちろん、男女交際としてではなく、「先生と生徒として」という意味です。)

父も、怒りを表すことなく、静かに対応していた、と。

父は、その後、先生のことを何も言わなくなった、と母から聞きました。
「会って喋って、お父さんなりに納得したんちゃうかな。」と母は言っていました。




病床の母と

私が大学に入学した年、母が末期癌で入院しました。
中学卒業後も年に1~2度、先生(元オット)と連絡を取っていた私は、先生にそのことを告げました。
先生が、「お母さん(私の母)に、会おうか?」と言うので、先生と良い関係(再度注釈を入れますが、男女交際としてではなく「先生と卒業生として」の関係です)を築いていることを示せば母は安心するかな、と私は考えて、先生を母の病室へ連れて行きました。
先生(後のDV元オット)は、病床の母と対面し、上述の5年前の父の時と同じように、涼しい顔で卒なくこなしていました。

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元オットの演技に騙された

元オットのしていたことは実際には性犯罪でしたが、私は被害者心理から、身体を触られたことを誰にも言っていなかったので、善人の仮面をつけた口先だけの元オットに、私の父母まで騙されてしまったことになります。
(結婚してからは、オットの暴力についても誰にも言えなかったので、オットの仮面に私の弟まで騙されています。)

元オットの演技に騙されている人は、多いと思います。
元オットは、ペテン師に向いていると思います。


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