前回(私が離婚を決意した頃(別居直前)のオットの様子①)の続きです。
DVオットは私の悪口を言う為に、正月早々アポ無しで私の伯母宅を訪ねた。
私は、離婚を決めてから、オット側の家族とはもう会わないぞ!という決心を徐々に固めていって、正月にオットの実家へ行くこと(毎年の恒例行事)と、次の日のオット側のお墓参りも断り、その決意を見せたつもりでした。
そのことがオットは気に入らなかったようで、その日(1月2日)の夕方、オットは、「ちょっと友達とお茶飲んでくる」なんて言って、外に出て行った。
私は、なんとなく、オットが私の悪口を言いに、伯母のところへ訪ねて行ったような気がしたのだけれど、ドンピシャ。
正月早々(1月2日)、突然、伯母に電話を入れて、強引に会いに行ったみたいです。
バタラー(DV加害者)発言
お正月で実家に帰っていた従姉から聞いた話によると。
「ミヤコを自分が育ててやりたかった。常識なども教えてやりたかった。」とオットは言ったらしい。
はい! バタラー(DV加害者)発言、いただきましたー!
中学教師のくせに女子生徒に手を出して身体まで触って、母子家庭などに対して偏見を持ち、家庭内では人の悪口言いまくりで、妻を暴力で支配し、自分の機嫌で暴れることを繰り返すようなヤツの言う「常識」なんて、教えて要らんし!
「常識」って、他者への思い遣りを持っていれば、何とかなるものだと私は思っています。
被害者然を装うDVオット
また、この時(1月2日)、オットは、ものすごい量の包帯を利き手にグルグルと巻いていたらしい(怪我から既に数ヶ月経過していて、普段は怪我の部分に手首用のサポーターをつけていた。)。
そして、おもむろに包帯をほどいて「今このくらいの状況です。」と説明したらしい。
・・・ダサい。
本当に、被害者然を演出するのがお好きなようだ。(専門家に相談すべし⑥)にも記述有り)
これを従姉から聞いた時、私は、情けなくて恥ずかしい気持ちになった。
私が恥ずかしがる必要などないのだろうけれど、「家族として」そういう気持ちになってしまう。
オットが家庭内で人の悪口を言ったり暴れまくったりしたときも、人として恥ずかしいことだと思っていたので、「人に言っちゃだめだ。隠しておかなきゃ。」って思い込んでいたなあ。
これもまた、DV被害を打ち明けられない理由の一つだと思います。
その3ヶ月前、私たちは、オット側の親族の敷地内の住居(結婚から7年半住んだ古い家)から賃貸マンションへ引っ越すことになり、いろいろあってオット側の親族(母親や姉たち)に連帯保証人を拒否されたため、私の伯母にお願いし、印鑑を押してもらいに行った時も。
(いろいろあって・・・本当は、私と子ども達の3人で生活する賃貸を探していたのに、急に、オットが「実家(姑)から追い出された! 助けてくれ!」と言ってきて、4人で引越しすることに。これだけでは説明不足ですが、ここでは詳細を省略します。その後、5ヶ月ほどオットと同居するのですが、「助けてくれ」と頼んできたことなど無かったかのような態度でした。)
そう、この時(3ヶ月前の10月)も、オットは自分の怪我がいかに辛いかを語っていたので、私は横で聞いていて、本当に情けない気持ちになった。自分で暴れた結果の怪我なのに・・・。
私の伯父(伯母の夫)も同席していた。
伯父は、その1年前に肝臓がんで入院手術をしたが、私たちの前では、辛かったなどと一言も言わない。
伯父は、酒好きで赤ら顔の、大らかで穏やかな、のんびりしたオッチャンです。
DVオットの態度に対して、私の伯父がキレた
その温厚な伯父が、上述の1月2日、オットに対して、ついにキレて文句を言ったらしい。
- 自分の怪我を男がくどくど言うな。
- ヒゲくらい剃って、身なりをちゃんとしてこい。
- セキタ(私の父)が生きていたら、結婚などさせていない。
などなど。
オットは、さすがに、黙り込んでいたらしい。
正月早々アポ無しで伯母の家に突撃し、伯母伯父と、同席していた従姉夫婦から大顰蹙を買うオット。
私のことを悪く言って、伯母たちを自分の味方に取り込もうとしたのだろうけれど。
DVオットは、私の伯父伯母たちのことをバカにしていた
伯父から一喝されても、オットは多分、懲りていない。
というのは、オットは、私の伯父伯母たちのことをバカにしていたので。
私の弟のお葬式の後、オットは私にこう言った。
「(私の伯父のことを)あんまりカシコ(賢く)ないやろ? 息子(従姉の兄)が海外留学した、みたいな話もしとったけど、息子もあんまりカシコないやろ?」と平気で言っていた。
酒飲みの伯父の大らかな態度から教養が無い印象を受けたとしても、妻の親族の悪口を妻本人に言うか??
このオットの暴言については、さすがに、従姉に話してないです。言えないです。
私は、オットの親族の悪口を言ったことは無い
私のほうは、オットの親族の悪口を言ったことない。普通、言わないでしょ。
離婚を決意するまでは、姑や義姉家族に対して、誠意を尽くして接していた。
結果的に、伝わっていなかったみたいだけれど。
親族の悪口を言ってはいけないことを、中学生の時に、従姉との会話から学んだ
思えば、親族の悪口を言ってはいけないことを、この従姉から学びました。
私が中学2~3年生の頃、父が癌の末期で母は病院で付きっきりだったり、父が他界してからは母が慣れない仕事を始めたりなどで、伯母や従姉が私達の面倒を見にきてくれていました。
従姉は専門学校が私の家に近かったので、平日は泊まり込んでくれていました。
小さい時から伯母のことを怖い人だと母から聞いていたので、私は伯母のことが苦手でした。
(母と伯母は仲良し姉妹です。伯母はハキハキして短気な人なので、怒らせないでね、くらいの注意だったと思います。)
従姉もハキハキした人ですが、よく遊んでもらって、慕っていました。
この頃(中学2~3年生)、私は、従姉に、伯母についての愚痴を言ってしまいました。
「伯母ちゃんの作るご飯は美味しくない。ブリの照焼も焦げてた。お姉ちゃん(従姉)の作るご飯のほうが美味しい。」と。
従姉は、静かに言いました。
「オバチャンはな、アンタのお母さんと違ってずっと働いてきてんから、料理が下手なんは、しゃあないやろ。それでも、アンタたちのために作ってくれてんねんで。それに、私の母親やねんから、自分の親の悪口言われて、エエ気せえへんわ。アンタも自分の母親の悪口言われたら、どう思う?」
私は、びっくりしました。
従姉が自分の母親(私の伯母)を庇うことに驚いたの。
従姉は、しょっちゅう、自分の母親のことをブツブツ文句言っていたので嫌っているのだと私は思い込んでいたから。
ブツブツ文句言ってても、親のことは好きなんだ、と理解しました。
それは悪かったと反省。
私にとっては、親しい人の悪口を言わないことが当たり前だった
私は、この頃には既に、親しい人の悪口を言わないのは普通だと思っていた。
自分の父母のことを悪く言ったことも無かったし。
その後、成長するに従い、仲良くしている友達のことを陰でブツブツ言う人も、たまーに居るのだなあと実感していきます。そういう知人に対して、私も陰で何を言われているか分からないなと警戒するようになりました。
従姉は、自分の母親など文句の対象である本人にもズバズバ言えちゃう人ですが。
だからこそ、私にもハッキリと注意を促してくれたのだと思います。
情に厚い人です。
母に対しては遠慮なく、文句でも何でも直に言っていた
私は、母の悪口を人には言わないけれど、母には言いたいことは直接言っていた。
「おでんとオムライスばっかり。飽きた。野菜の炒め煮も好きじゃない。」等の文句も。
父の病床へ通うのに、おでんはたくさん作れて何日も美味しいから好都合だったのだろう。
オムライスは、今から考えると結構手間かかるのに、母の得意料理だったのかも。
今は、おでんもオムライスも、小松菜と薄揚げの炒め煮も大好物。
小中学生の頃の私は、母に対しての思い遣りに欠けている子どもだったな。
文句は食事のことばっかりで、ほんとお子ちゃま。
父の他界後に生活が落ち着いてからは、伯母や従姉とは年に数回しか会わない関係に戻ったので、彼女たちの認識は、そんなワガママな子どものミヤコのままで止まっちゃっているのだと思う。
だから、離婚問題の時に、いろいろキツイことを言われたのかも。
それでなくても、ハキハキ親子だし。
父母が他界し、精神的に甘えられる人が居なくなった
父母が他界して、精神的に頼れる人が居なくなったことが、私にとって、とても辛い。
両親は、私をを丸ごと受け入れて、無条件で認めてくれていたから。
DVオットの言動不一致
オットは、「ミヤコに親が居ないことはハンデではない。自分は気にしていない。」などと私や親族に言っておきながら、「ミヤコに親が居ないことを一番利用しているのはオット自身ではないか。」と、従姉はプリプリ怒っていました。
ほんま、それ。