前投稿記事
を書いていて、学校の道徳教育について考察していたら文章が長くなってきたので、このページに続きを書くことにしました。
道徳教育について思うこと
死別経験についてだけじゃなく、嫌がらせやイジメ、虐待、不登校についてなど、
学校現場において、根本的な「心の教育」がまだまだ足りていない気がする。
道徳の時間は有ったけれど、説教臭くて面白くなく、学年が上がるにつれて蔑ろにされていたような記憶。
現在の学校現場では、どうなってるんだろうか?
「学校 道徳」で検索(Google検索)をかけると、現在では『特別の教科』として位置づけられているそうな。
そのように「心の教育」が重要視されていることについては、少し希望が見えるのだけれど、
実際の生活に活かされているのかしら?
と、疑問を持ってしまう。
心が締め付けられるような暗いニュースが日々多いもの。。。
「人の気持ちを考える」想像力を育むことができているのかなあ。
道徳教育において、模範解答を押し付けるのは良くないというのも分かるけれど、
断定が必要なテーマはあると思う。
「虐待(いじめ、暴行など)は、加害者に100%非がある。」
「差別をしてはならない。」
など。
(元オットについて言うと、暴力を振るうわ、差別発言をするわ、というヤツだったので、
そんな教師が道徳教育を説いても、全く説得力が無いなあ。。。)
元オットの女性蔑視、母子家庭への偏見を書いた記事はコチラ↓
もちろん、正論を単に植え付けるのではなく、
なぜ、そうなのかを生徒たちが自ら考え、
授業時間内だけでなく、集団生活を送っていく中で徐々に自分の中に落とし込んでいくものだとは思う。
一番の根本は、「個人の尊重(尊厳)」。
自分自身を大切にすること。
相手も「自分自身を大切にしている」個人であり、よって、その人権を侵してはならない。
今の日本、
その『個人の尊厳』が子どもたちの心に浸透していないと思うなあ。
いや、子どもたちだけでなく、大人もな!
中3の時、生徒会会議に出席しました。
市立の宿泊施設に、市立の各中学校の生徒会役員から3名ずつ参加して議論をするという行事。
大きな議題は2〜3つだった記憶ですが、そのうちの1つが「イジメについて」でした。
生徒会役員に議論させた後に、各学校に持ち帰らせて問題提起させようというネライなのだろうけどっ。
私の学校では学級等で議論したという記憶が無いので、そのネライは活かされていないような気がする。。。
その生徒会会議において、
案の定、「いじめられる側にも問題がある」という意見もありました。
その意見に対して、先生方から否定の指導は無かったような記憶です。
昭和の時代だから?
いつの時代でも、「加害者側が悪い」ことは前面に出して指導してほしいです。
自分がイヤだと感じたら、言葉で言う。
それが難しいなら、大人に相談する。
でも、先生に相談したりなんかすると、「チクリやがって」なんて言われるんです。
別に、全員と仲良くしないといけないってワケじゃない。
気の合わない人とは距離を置いて、それぞれで楽しく過ごせば良い。
集団生活で接点がある時は、お互い妥協しないといけない場合もあるだろうけれど。
そういったことを学んでいくのも学校という場所だと思う。
ちょっとした軽いイジメなどは、学校の先生が解決に動くものだと私は思う。
でも、イジメが度を越して、傷害・暴行や物損にまで及ぶのなら、それはもはや『イジメ』なんて軽い言葉で片付けて良いものではなく、学校だけでは解決できない。
警察などの外部機関による調査が入ることが当然の世の中になってほしい。
教師の質に疑問を感じる
・体育大会(運動会)/中1の時の合唱コンクール
でも述べたように、質の低い幼稚な教師も存在するんですよ。
本ブログの主題(教師による性被害・DV離婚)においての加害者V(ワイセツ教師→後のDV元オット)は、
その最たるもの。
自分のことしか考えていない。
こんな人間性に問題があるヤツ等が、真っ当な道徳教育を指導なんて出来るわけない。
↑マニュアルで採用面接に合格しちゃう教師って、どうなのよ?
(そんなマニュアルが本当に存在するかどうかは知らないけれど)
採用時に排除できないことを考慮して、
数年ごとに人間性をチェックするシステムは要るんじゃない?
他者の人間性を客観的に判断するという作業は、現実的に難しいとは思う。
でも、『教師』って、心の教育に携わる大事な職業だよ?
現状では、学校という組織を信用できないよ。
上記事で、
V先生(後のDV元オット)から「『擬似体験』が大切」と教わったことを記述した。
Vは口先だけ。
そんなヤツが公立校の教師やってるなんて、
学校教育、ほんま、ヤバイです。
教師の人材不足が社会問題になっているけれど、
人間性が欠如しているヤツが教師やってることのほうが大問題でしょ。
学校教育だけが人格形成に影響するわけではないでしょうが、
人生の土台作りの場ですからねえ。。。
もちろん、人として尊敬できる教師も多い。
善良な教師のほうが、実際に多いのよ。
ワイセツ教師・暴力教師などは、ほんの一部分だとは思う。
で、大部分の教師は健全かつ善良(つまり、良識ある方々)なので、
そういった悪徳教師のことも『人として尊重』しちゃうんですよ。
ああ、こういう人も居るんだな、こういう考えもあるんだな、と。
そして、まさか同僚が生徒にワイセツしてるなんて思わないというか、思いたくないというか。
もし目撃しても『認めたくない。何か事情があるのだろう』等といった心の防御が生じるのだと思う。
そして、もし、告発したとしても。
校長としては、自分が定年退職するまでは問題が起こることを嫌がるだろうから、
イジメもワイセツもパワハラも揉み消してハイお終い!
隠蔽されてしまうだけでなく、告発者が返り討ちに遭ってしまうこともあるのだろうなあ。
教育現場の話では無いけれど、
ここ数日、ニュース等で世間を騒がせている「兵庫県知事 パワハラ(Google検索)」事件。
知事とか市長さん、校長とか社長さんとか、人の上に立つ偉いさんの一番の仕事は、
グループの代表者として最終責任を引き受けることだと私は思っている。
そのグループのメンバー一人ひとりの命・生活が、代表者の双肩にかかっていると想像しただけで、
ものすごい重責を担っていることに身震いしてしまう。
その重責の報酬として、多額の収入を得ているんじゃないの?
もっと言えば、知事・市長・公立校の校長などは『公務員』である。
公務員は『全体の奉仕者』として憲法で定められている。
現在の日本を動かしている政治家たちに関するニュースから、彼等は自分の利益のことしか考えていないような印象を受ける。
正義を訴える人が、利己的な権力者によって握り潰されてしまう国。
なんというか、もう、憂いしかない。。。
そのような利己的な人にこそ、『道徳教育』が必要なんじゃない?
でも、そういった人たちは自分のことを正しいと思っていて耳を貸さないだろうから改善されない。
逆に、『道徳』が身に付いている人は、非道徳で利己的な権力者に利用される。
絶望しかない。
前ページと、このページについての、まとめ
私の父は私が中1の頃から闘病していた。
教師V(後のDV元オット)は、私の相談に乗っているようなテイを装って、中学生だった私に性加害を行った。
被害者は、おそらく、私だけではない。
「教師として」ではなく、「人として」失格だと思う。
中学生への性加害、配偶者へのDV。
これらは人権侵害である。
『個人の尊厳』を侵害するようなヤツを教師として採用しないでいただきたい。
現在、
ワイセツ教師V(元オット)のような性加害者・DV加害者、パワハラやイジメの加害者など、
そういったヤツ等の人権までも尊重されて守られている世の中。
これらの加害者の罪は、相手の人権を侵害していることだというのに。
一方、
被害者の人権は軽んじられている。
日本国憲法の一番の大元である「個人の尊重(尊厳)」が一人ひとりの心にしっかり根付くような道徳教育を学校には期待したいです。
・・・期待できるんか??
まずは、大人に対する教育が必要なのでは? と思ったり。
大人は、子どもたちの『お手本』です。