中学3年生になった。〜死別についての考察①

記事内に広告が含まれています。


広告

私は中学3年生になった

父が闘病の末、他界した。
4月7日、土曜日だった。

なので、確か、お葬式は4月9日。
学校の始業式を欠席した。

忌引休暇は7日間取れるはずだったが、私は次の日から学校へ行ったと思う。

当時の通知表を見れば、はっきり分かることなのだけれど。。。
体育大会(運動会)/小中学生は純粋で素直の文中にも記しましたが、
DV元オットとの離婚の際のドタバタで、写真など多くを紛失しました。

通知表も。

私の通知表、母が大切に保管してくれていたのに。


それはさておき。

多分、新年度のクラス(学級)での友達関係が心配だったのだと思う。
1週間も休むと既に仲良しグループが固まっちゃうかもしれないから。

現在の視点からの考察

今考えると、もう数日休んで、悲しみを処理する時間を取るべきだったのかな、と思うけれど、
私が通常通り学校へ行くことで、母が葬儀後の雑務などを行いやすかっただろう。

何より、我慢強い母には一人で悼む時間が必要だったはず。
私と弟が通常の生活を続けていくことが、母にとって一番安心なこと。



この文章を書きながら、ふと思ったんだが。

学校教育で、死別経験についての学習が有っただろうか?

道徳の教科書や国語の教材に、戦争での死別や薄幸な友人と接するシーンなどは有った。

そういうのじゃなくって、身内を亡くした友人に対して、具体的にどんな接し方をすれば良いのか、自分に何ができるのか、等。

私の場合は、身内を亡くした「当人」なので、
私が欠席した始業式の日、
学級担任がクラスの生徒たちに、私への対応についてどのような指導をしたのか、
または、何の指導もしなかったのか、
分からない。

中3の時の担任の先生は、本当に良い先生だったので、何らかの声掛けはしてくださっただろうとは思う。

そういった機会が有って初めて指導するのではなく、
「思いやり」や「いたわり」、「共感」を育む指導が、日頃からもっと有っても良いのではないかと思う。

普段から、周りの人への「思いやり」を自然に意識できていれば、生徒たち各々は、より安心して学校生活を送れると思うのだけど。

そんな雰囲気の世の中だったら、当時の私もしっかり忌引休暇を取れたかもしれない。
学校生活のことを心配せずに、どっぷりと悲しみに浸り・向き合い、気持を整理していく時間を作れたかもしれない。

さっさと学校に通い出したことは、感情に蓋をする癖をつけてしまったかもしれないなあ。
母にも心配かけたくなかったし。


参考までに、外部のサイトのリンクを貼っておきます。

<参考記事(外部リンク))>



広告

道徳教育について思うこと

文章が長くなってきたので、次のページに記述します。


タイトルとURLをコピーしました