被害に遭っているのかどうか分からなくても、相談すべし①
からの続きです。
DVに当てはまるのか、分からなかった
私は、DVリーフレットを見て、自分たち夫婦にぴったり当てはまっていることに気づいたのですが、ぴったりと言っても100%合致していた訳ではありません。
なので、先述したように、DV相談や法律相談に訪れた頃は、まだ半信半疑で、DV被害を受けているという確信が持てないでいました。
例えば、
- DVサイクル
開放期(ハネムーン期)、文字通り?新婚の頃の暴力の後は、オットはものすごく反省しているような態度を装いつつ、「オマエが悪いからオレを怒らせる」と支配してきた。3~4年経った頃には、私(被害者)的には、もう、ずーーっと緊張期です。
- 暴力の形態
①「身体的暴力」について、私がオットから危害を加えられたのは、顔面をボコボコに殴られたのと、髪の毛を掴まれて庭で引き摺られたことの2回。
それ以外の、暴れまくって壁をぶち壊す、台所に灯油を撒いてライターで点火するポーズを取る、食器を割る、家電製品のコードをハサミでちょん切る、などは「精神的暴力」に当たると思うのですが、7年間で合計10回くらいだったような記憶なので、DVと言い切るには頻度が少ないのでは?と懸念していました。
いやいや、十分怖いって!!
それ以外も、家の中で、オットが私に対して物凄い剣幕で怒鳴ることは、しょっちゅうでしたが…。
それも、オットの怒りの内容はかなり理不尽なのですが、怒鳴られることで混乱してしまうのと、上記のように物を壊すなどの暴力的な行為に今回も発展させないようにビクビクしながら気を使いまくり、私が悪かったと謝り倒し、なんとか収めようと毎回努めていました。
これらの「精神的暴力」は、当時のDV防止法では対象外とされていたので、DVを主張するには弱いかも、と考えたり。
※現在のDV防止法におけるDVの定義には、「精神的暴力」も含まれています。
②また、自分たち夫婦には、「経済的暴力」の項目は当てはまっていませんでした。
むしろ、オットは自分が裕福に暮らしたい為に、私が子どもとの時間を増やしたいから仕事を辞めたいと言っても全く聞く耳を持たなかったのです。
私にとっては自分の両親がお手本で、父が他界するまでは、母はずっと家に居ました(家で、夫(私の父)の仕事の下請けを内職していた)。
友達の家は大きいのに自分の家は小さい、と幼心に感じたり、小学生になってからは、ウチは裕福ではないことも理解するようになったけれど、苦痛を感じることは無かったなあ。意識していなかったけれど、人は人、ウチはウチ、と自然に受け入れていたのだと思う。
家計の負担が少ない公立に進学するのも当たり前と思っていた。
母が言うには、「お父さん(私の父)が見栄張りでね、自分の奥さんが外に出て働くのを嫌がったのよ。」
子どもの頃、さだまさしさんの「関白宣言」が大ヒットし、自分の父親は亭主関白なのだなあと思っていた。
この歌の通り、亭主関白を気取っているのだけれど、自分の弱さも認めつつ、家族を大事にする優しい父親だった。
「ミヤコ(私)が生まれるまでは、小さな子を見かけたら、じーって観察してて、子どものことを好きな人やったわ。ミヤコが生まれてからは、他の子に見向きもせんようになったけどね。」
たぶん、父は、子どもが小さいうちは母親が傍に居たほうが良いという考えも持っていたと思う。
私は、そんな父親が大好きで、カッコイイと思っていた。
でも、オットと結婚して、仕事を続けるように言われ、オットは私の父親とは違う考え方なのだ、私にとってはあんまりカッコ良くないな、と思いつつ、人それぞれの考え方があるのだからと自分に言い聞かせた。
オットの母親も専業主婦として家に居たはずなんだけどなあ。
オットは、母親が家に居てくれることよりも、裕福でありたかったようだ。
「子ども達に金銭的な不自由をさせたくない」というようなことをオットから言われた記憶もあり、これは、まあ、正論で、納得なのだけれど、
ずっと専業主婦でいたいワケじゃなくて、子ども達がある程度大きくなってきたらバイト等すればいい、と私は考えていた。
また、私は両親が他界してから自分でなんとかやりくりしてきたので、子ども達に進路の希望ができたら本人が努力すれば良いと考えていた。
もちろん、親が健在なら援助が有っても良いのだけれど、オットみたいにサボりまくって大学卒業までに9年かかったヤツが、そんな偉そうにマトモなことを言うと、モヤっとする。
子どもがサボっているのに、湯水のように学費を出してあげて良いのか?
自分のやってきたことを正当化しようとしてない?
等と、違和感ありまくりだったけれど、DVオットには反論できないです。
また、「仕事を辞めたら、家のこと完璧にできるんやな?」と凄まれると何も言えない。
それでなくても何かにつけて機嫌次第で文句言って暴れるオットが怖くて。
挙句に、「(一馬力だったら)今みたいに、友達や後輩に(ご飯)奢ったりできんようになるぞ。海外旅行とかも行かれへんし。オヤジ(オットの父親)は車好きやったけど、新車に乗ったのは最後の1台だけやった。」と言う。
これ聞いた時、愕然とした。
は? 私、オットが見栄を張るために、働かされてるん?
ワリカンでええやん。
私、海外旅行にも興味ないし。
脱力して、何も言えませんでした。
ほんとに、私の父親とは全く違う考え方。
一馬力か共働きか。
経済面や子どもの情緒面など、普通の夫婦なら、じっくり話し合う問題なのだろうけれど、DVオットでは話にならない。
自分が一番正しいと思い込んでいて、脅してくるから。
対して、私など普通の人間だと、「オットは貧乏でイヤな思いをしたのかな」等と、相手の身になって考えたりしてしまう。
実際は、上述したように元オットは予備校・大学(私学)卒業までの9年間の学費を家族に出してもらっているし、一人部屋も与えられている。
お母様(私の姑)が上手にやりくりされて、決して貧乏な家庭では無い。
オットの姉たちが養子に行く等の犠牲は有ったみたいだけれど。
姑のように倹約すれば、一馬力でもなんとかなるんじゃない?と私は考えていたのだけれど、オットは自分の母親(私の姑)が倹約家なことも気に入らないようだった。
オットは、裁判の答弁では、「ミヤコ(私のこと)は、自分の意思で仕事を続けていた。」と述べている。
いやいや、アンタが脅して、そう仕向けていたんだよ。
私は、「子どもが小さいうちにもっと一緒に過ごしたいから仕事を辞めたいのだけれど、オットが辞めさせてくれない。」といろんな人に言っていたから、証言はたくさん取れるよ。
仕事を辞めなくて良かったこともある。
職場に居る時は、オットから開放されたから。
でも、専業主婦の場合も、オットが仕事に行っている間は開放されるので、やっぱり子ども達と一緒に居られる方がいいかな。
働いていたらDVオットから逃げるための費用を捻出しやすいのだろうけれど、お金が有っても無くても逃げなきゃいけない。
③それと、「社会的隔離」も無かったです。
けれども、オットを再優先に扱うように言われ続けたので、結果的に、親族や友人との付き合いは疎遠になっていきました。
専門家が判断してくれます
渦中にいると、冷静な判断ができません。
被害に遭っているのかどうか、専門家の方々なら、判断してくださいます。
とにかく、できるだけ早く、専門機関へ相談を!
DVについてのサイト紹介
DVについて、分かりやすいサイトが有ったので、リンクを貼っておきます。
DVを知っていますか?(全日本民医連)
↑このサイト中の、私が特に勇気づけられた文章を抜粋します。
◇密室から洗脳へ
・・・(略)・・・
なかには「被害者にも落ち度があるのでは」と思う方もいるかもしれません。しかしこれは全くの誤解です。
完璧な人間などいませんし、「落ち度」ということであれば、お互いに少しずつあるのです。また「落ち度」があるからと暴力をふるうこと自体、絶対に許されない犯罪です。
「私が悪かったから、オットが暴れたのかな」という疑いは、ずっと心にこびりついていて、なかなか剥がれないのです。
でも、私は、幸運な事に、元オット以外の人から暴行やイジメを受けたことがなく、「暴れないことが普通である」ことは理解できています。それは、きっと、周りの人たちの心が健康だったから。
幸運、というより、安全な社会であることが当たり前であるべきだと思う。
DVやモラハラ、いじめ(暴行罪)など、「被害者側にも非がある」等と言われることもあるが、加害者側が、そう仕向けているのだと思う。
加害者が高圧的であるから、被害者がビクビクおどおどする。
相手がビクビクすることに苛立って、暴行をさらにエスカレートさせる加害者。
一度でも暴行を加えられると、笑顔を見せられても怖くて怖くて仕方がないのだ。
追記
[2022年3月6日追記]
上述の、オットの見栄と贅沢のために、フルタイム正職員として働くことを強要されたことについて。
オットの言い分
「海外旅行は、新婚旅行以外では1回イギリスに行っただけやねんぞ!」
「オヤジは、最後に買った車だけ新車で、それ以外はずっと中古車やってんぞ。」
→→それ、全部、私は関係なくない?
40歳まで独身で公務員なのだから、海外旅行に行こうと思えば、なんぼでも行けたよね?
アンタがちゃんと4年で大学を卒業してたら、お父様も新車に乗れたんじゃない?
浪人2年+私立大学7年のお金を親に負担してもらっといて。
さらに、嫁を働かせて贅沢しようという、あさましさ。