頑張り屋だった
私が物凄い運動音痴であることを私の運動音痴っぷりに記しましたが、
そんな私が、中学校の部活動に運動部を選びました。
体育以外の成績は自分で満足できるくらいだったので、
苦手な体育が少しでもマシになれば良いな~という気持はありました。
もちろん、超初心者です。
入部して数ヶ月後、隣の市の稽古場へ習いに行くことにしました。
先輩たち何人かも通っていたし、友達数人も通うと言うので、私も便乗。
学校の部活動が終わってからと日曜日の、週に2~3回通っていた記憶。
運動音痴なりに、頑張っていました。
ほんと、今から振り返ると、当時の私たち、すごい頑張り屋だったなあ。
部活終わって家に帰って、自転車で隣の市まで行って、1~2時間くらい練習だよ。
すごいわ。。。
私は、身体が弱いとかは無かったのだけれど、夏休みなど大きな休暇が始まった途端に熱を出す、という子どもでした。
休みに入って心身が安心し、緊張が緩んで熱が出るのでは?と母が言っていた。
無自覚に頑張り過ぎてしまう性質だったのだと思う。
それもあって、運動部を選んだことを父母は心配したのだろう。
体育館を使えるのは週に2~3回
私たちの部活が体育館を使えるのは、土日も含め、週に2~3回くらいでした。
他の運動部との兼ね合いでです。
だから、もっと練習したくて、上記のように、隣の市の稽古場まで通っていたのです。
体育館以外の平日は、中庭で基礎トレ。
たまーに(月1回くらい)、先輩が「今日の部活は『たんてい(※)』にしよう!」と決めて、
中庭で走り回っていました。
『かごめ』や『あーぶくーたった』、『はじめのだいいっぽ』などの時も。
そういう、少し緩いところも有る、楽しい部活動でした。
※たんてい・・・全国的には『ケイドロ』と呼ばれている鬼ごっこ
※はじめのだいいっぽ・・・『だるまさんがころんだ』の最初の掛け声が遊びの名称になっていました。第二声以降は、「だるまさんがころんだ」の他に「ぼうさんが屁をこいた」と言うこともありました。
制服からジャージへの着替えも中庭で。
校舎の壁沿いで着替える。
植木と校舎の間。荷物もそこに置きっぱ。
入部してすぐの頃は、そこで着替えることにビックリして抵抗が有った。
だって、外だもん。
イヤだなぁと思いつつも仕方ないのかなあ、先輩方も代々そこで着替えてきたんだろうなぁ等と受け入れるしかなかった。
校舎の内側は職員室前の廊下なので、生徒に覗かれる場所では無かったけれど、
2階以上は教室前の廊下なので、上から覗かれていたかもしれない。
今から考えると、やっぱり異常なことだと思う。
そう。更衣室が無かった。
(体育館での練習日は、講堂を兼ねている体育館のステージ脇などで着替えていました。もちろんステージ幕を閉めて。)
そういや、体育の授業の時も、更衣室が無いから、教室で着替えてたな。。。
小学校の時は、体育の授業が有る日は体操服で登校してたから、着替えの必要は無かったのだけれど。
中学校では制服での登校だったから。
教室で着替えるのも、最初はイヤだったな〜。
だんだん慣れてしまって気にならなくなるのも、チョット怖い話だ。
プールの授業の時は、どうしてたっけ・・・?
思い出せない。
学校内は安全だと思っていた(安全なのが当たり前なので安心しきって考えたこともなかった)。
同様に、学校の先生は人格者だと思っていた(これも当たり前のことだと思っていたので、何も疑うことなく安心しきっていた)。
ワイセツ教師というものが存在することを知っている今、考えると、恐ろしい。
学校内って、そういった異常なことが当たり前のように蔓延っている。
正常な感覚を持った教師でも、数年在籍すれば麻痺してしまうだろう。
最近の教育界では、どうなんだろう?
外部監査などを入れて、生徒たちの真の安全を保障してほしいと切に願う。
V先生が部活動の副顧問に
中学2年生に進級し、先述(私が中学2年生の時、新任教諭として着任してきた。)したように、
V先生(後のDV元オット)が私の所属する部活動の副顧問になりました。
正顧問の先生は、この競技の専門では無かったので、部活動に顔を出されることは殆ど無く、練習は生徒任せ。
練習のプランは先輩たちが決めていたし、競技の基本や型など全て、先輩たちに教えてもらいました。
が、V先生は、この競技の経験者らしく、練習も参加してきました。
(新任1年目だったから、時間的な余裕もあったのだろうと、現在の私は推測する。)
先輩方は、それまでは、部活動の練習に関して教師からの指導を受けることがなく、自分たちで考えて活動してきたので、
練習に参加してくる副顧問に対して、ちょっとやりにくそうな感じでした。
V先生の方も、その雰囲気を読み取ったのか、新任だからか、
中3生たちが中心になって部を動かしているやり方に、あまり口を出すこと無く、
少しずつ馴染んでくるような様子だったと思います。
私は女子の部長に
7月末の総体が終わり、3年生の先輩たちが部活動を引退しました。
私は女子の部長を務めることに。
競技の能力はあんまり上達していなかったけれど、上述のように校外の稽古場に習いに行く等、熱意はあったのです。
それと、私は小学校高学年の頃から、クラス委員や生徒会役員にも立候補するような生徒でした。
目立ちたいっていうんじゃなくて、なんでもやりたがり屋だったのです。
(高校生になってからは、やりたがり精神は薄れてしまった。そんな重責を担うような器じゃないな、と。代表委員さんたちに協力する側に回りました。楽しいことに対しては率先して企画などしたけれど。オットと別居した頃には、もうそんな気力もなくて。オットの影響で学校の先生不信になり、我が子の学校にも行きたくなくてPTA活動なども辛かった。今は、体調不良もあって、すっかり引きこもり。)
そんな訳で、V先生と接する機会が多くなったのです。
V先生は生徒からそこそこ人気(にんき)が有ったと思う
V先生は、新任といっても、大学を卒業するのに、浪人(二浪)を含めて9年かかった、と自分で言っていたので、既に27~28歳。
一学年10クラス以上の大人数の中学校だったので、たくさんの教員がいました。
生徒に人気の有りそうな(ジャージ姿も格好良くて少しチャラい感じ)若手の先生も数人いて、V先生は、その中に、すぐ馴染んでいたようです。
V先生は1年生のクラス担任なので、他学年の生徒と関わることはあまり無さそうでしたが、
そういった若手の先生繋がりからか、中3の少しハデ目な女子生徒と廊下で仲良さそうに喋っているところを見たことが有る。
1年生の生徒たちには、お兄さんっぽい先生という感じで、人気が有ったんじゃないかな。
一方、私は。
担任や教科担当などの先生方とよく喋る生徒で、先生方も気にかけてくださった。
怖そうな先生などには、ちょっと苦手意識もあって、近寄らなかったけれど。
他学年の先生にまで話しかけるほどの社交性は無かったので、部活の副顧問でなければ、V先生と口を利くこともなかっただろう。
V先生のことは、部活動の面倒をよく見てくれる先生として、慕っていった。
ちょっとした憧れ感覚で、恋愛どーのこーのという気持ちは無い。
部活動において、V先生を頼りにした
上述したように、正顧問の先生は、部活動に顔を出されることは殆ど無かったけれど、
副顧問に就任したV先生は練習に参加してきたので、
中3生が引退して、私たち2年生が部活動の中心を担う頃には、V先生を頼りにするようになりました。
先生が部活を見てくれるのは、私たちにとっては嬉しいことでした。
男子がサボりがちだったし、私たちも先生が居るほうがマジメに練習しようという気になるし。
訓話
V先生は、体育館使用時での部活の終わりの挨拶の時などに、ちょっとした訓話をしていました。
「あいさつをきちんとすること。」
「部活の道具を跨いではいけない。」
などなど、当たり前のことばかりだけれど。
かなり熱く語っていたので、私たち生徒は「V先生って熱血教師だよねー。」という評価をしていた。
部活の仲良しメンバー数人で、V先生に「先生の好きな言葉って何?」と訊いたら、
「青春」
だってさ。
なるほどねー、と私たちは納得しました。
(
→青春と少女ワイセツを履き違えないでほしいですね。
被害者の青春をぶっ壊してるんだけど?
)
他校との練習試合
V先生が副顧問になってから、他校との練習試合・合同練習が行われるようになりました。
おそらく、公式試合(総体や新人戦)の引率をした時に、他校の顧問と面識を持ったからだと思います。
(
→DV加害者は一般的に外面がめっちゃ良いです。
)
他校との練習は、私たちも嬉しくて、「また、練習試合やりたい!」とV先生にお願いするようになりました。
部活内で同じメンバーばっかりで練習していると、相手の性格や癖を知っているから、マンネリ化しちゃうのよね。
知らない相手との練習試合は、適度な緊張感も有って、本当に良い経験でした。
(
→仕事をしっかりやっていても、女子中学生にワイセツ行為してたらアカンでしょ。
)
朝練
上で述べたように、私たちの部活が体育館を使えるのは、週に2~3回くらい。
そこで、体育館での練習をもっとやりたい私たちは、「朝練をやりたい」とV先生に申し出ました。
すると、V先生は、
「学校の周りのランニングを毎朝やって、1ヶ月続いたら、体育館での朝練を考えても良い」
と言う。
私たち、上記の通り、とにかく頑張り屋だったので、素直に頑張りましたよ。
→体力テストの持久走(女子は1000m)で満点という成果につながったのかも。
私たちのランニングに、V先生も一緒に走ってくれたし。
(
→
わいせつ加害者に対して、「〜〜してくれた」っていう文章表現はできるだけしたくないのだけれど!
や、ほんま、中学生女子に手を出すようなことをしなければ、良い先生だったのかも??
いやいや、騙されたらアカン!(って当時は思いっ切り騙されてたケド)
結婚したら酷いDVオットだったから、やはり心根から腐っていたと考えるべき。
ならば、
このとき一緒にランニングしたのは、
- 生徒に寄り添う良い教師を演出
- 自分の外見を磨くためにちょうど良い
というくらいのものだったのかも。
↑斜に構えた見方をしてしまうのは、被害を受けたことによって、不信感いっぱいなので!
もし、私が教師で、生徒たちのランニングに付き合うとしたら、
「先生(自分のこと)も一緒に走るわ!
運動不足やし、シェイプアップにもなるし♪」
って正直に言っちゃうかな。
もちろん、自分(先生)が一緒に走ることで、生徒たちに怠け心が出そうになった時の抑止になるだろうから、
生徒たちの達成の確率を上げることができる、という狙いもある。
V先生は自分の思惑を口にせずに、「自分も一緒に走ろう」だったので、
人を疑うことを知らなかった中学生の私たちは、
「生徒のことを考えてくれる良い先生だなあ」なんて、解釈しちゃったわ。
)
感謝するべきなのか?
ところで。
上で述べたように、
正顧問の先生が部活動に殆ど顔を出さないことを、専門外の競技だから仕方ないのかな、と私たち部員は理解していました。
もちろん、総体や新人戦などの試合の手続き・引率、体育館の練習日の確保などはきちっとして下さっていたので、
私たちは、円滑に部活動を行えていました。
新たに副顧問となり、部活動の練習に参加してくるV先生は、
「学生時代に、少し」と本人も言っていたので、
ちょっとかじった程度だったみたいです。
私たちよりも上手だったけれども、級や段も取得していなかったし。
(次の年(私が中3)かその次の年だったかに、V先生から「昇段審査を受けて受かった」と聞いた記憶です。)
(
元オットVは、何でも器用にこなすタイプですが、
すんごく秀でるものは無く、
いわゆる器用貧乏ってやつです。
話は逸れますが、
結婚して7年半一緒に暮らしていたのですが、
オットが中高生の時に何部に所属していたかも、聞いていないんです。
高校生の時にバイクいじりに夢中になっていたことは聞いた。
(聞いたのは結婚してからではなく、私が中高生の時)
中学生の時は? もしかしたら帰宅部か幽霊部員で、恥ずかしい過去だと思ってる?
(別に、それは恥ずかしいことでは無いと私は思うけれど、オットはしょーもないプライド持ちだから…)
自慢しィのVなので、堂々とした過去だったらV本人は語りたいはず。こっちが尋ねなくても。
自分から言わない、ってことは、訊いちゃいけないのかな?と思って、私からは話題にせず。
)
話を戻してですね。
正顧問が部活動をあまり見てくれないことについて。
正顧問は男性教師で、眼鏡をかけていて30歳代半後半くらい。
実直そうな雰囲気。
国語科担当だったような気がする。
他学年(中3)担当の先生だったので、私は喋った記憶が全く無い。
V先生が副顧問になり、練習に参加してくるようになったので、
私は、「正顧問の先生も、ちょっとくらい顔を出してくれてもいいのに。」というふうなプチ恨み事を
V先生に言ったのかもしれない。
覚えているのは、V先生の以下の説教。
「
顧問をしたがる先生が誰も居らんかった時に、NM先生(正顧問)が引き受けてくれたんやろ?
そうじゃなかったら、廃部になってたかもしれへんやろ。
部活の存続に貢献してくれていることを感謝すべきちゃうか?
」
Vのこの発言、
私とVが二人っきりの時に言ったのか、
それとも、私たち仲良しグループ(部活の5~6人くらい)に対してだったのか、
そこんとこは覚えていないです。
当時の私(中2=13歳)は、
そうか、感謝すべきなのか。。。
と受け入れようとした。
が、多分、モヤッとするところも有ったから、40年経った今でも、Vのこの発言を覚えているのだと思う。
というのは。
NM先生が正顧問になってくださったのは、私が中学校に入学するよりも前のことだ。
私が入部する(中1)直前でも、中2~3生の部員は男女合わせて20~30人くらい居たと思うので、
廃部に追い込まれるようなことは無かったと思う。
先輩方がNM先生に頼み込んで顧問になっていただいたなどという話は、聞いたこともない。
また、誰が部活の顧問になるかは、学校側の問題じゃないの?
それを、私たちに『感謝すべき』って言うのは、変じゃない?
とモヤモヤしたの。
現在の視点からの考察1
今現在、NM先生(正顧問)に対して、感謝の気持が湧くかどうか、考えてみる。
確かに、他の教師が手を挙げないようなマイナー競技の部活の顧問を引き受けてくださるのだから、
NM先生は、おそらく、見た目通りの誠実な先生だったのだと思う。
部の活動を生徒たちに丸投げなのは、どうかと思うが、
先輩たち部員も真面目だったので、任せても大丈夫と信頼してのことかもしれない。
万一ケガなどの問題が生じた時には、きちんと責任をとってくださっただろう。
だからと言って、「部活の存続に貢献してくださったことに感謝」ってのは、ちょっと違うと思う。
生徒たちを信頼して部活の運営を任せてくれていたことについては、感謝すべきかもしれないけれど、
私よりも上の学年の先輩たちのケースだからなあ。
ほんと、私、NM先生とは殆ど接点無かったし。
顧問のなり手が居なくて…というのは、中学教師の内部事情でしょ。
それを生徒が推し量って感謝すべきっていうのは、なんか違うと思うんだけど。
現在の視点からの考察2
もしかしたら、『感謝の押し付け』に対して、モヤッとしたのかもしれない。
「(部活の顧問を引き受けた)自分に感謝しろ」って、冗談で言うこともあるかもしれないけれど、
本気で言っているのなら人間性を疑っちゃう。
ここで述べているケースは、『自分に』では無いけれど、「『同僚に』感謝すべき」というのが引っかかったのかも。
つまり、「オレら教師に感謝せえよ」って言われたように感じたのかも。
え、ソレ、自分で言っちゃう?みたいな。
うーーん。
でも、例えば、母親から「こうやって毎日平和に暮らせるのは、お父さんが一所懸命働いてくれてるからだよね。」って言われたら、素直に感謝できる。
『押し付け』と思うことは無い。
何が違うんだろ。
実際に、小学生の頃、父母から「毎日ご飯が食べられるのは、農家の人たちに感謝やね」と言われて、
そうか、確かにそうだよなあ、ありがたいなあ、と思いを巡らせた。
それから大人になるにつれて、農家の人たちだけでなく、大地の恵みや地球の恩恵に対して等々、感謝の対象はどんどん広がっていった。
食物をちゃんと消化できる自分の身体にさえも感謝である。
感謝は、『押し付け』られるものではなく、自分の内側から自然に生じてくるものだと思う。
もちろん、
そういった感謝の気持を自然に抱けるようになったのは、父母を始め周りの人たちからの教えが有ったからですが、
その教えも決して『押し付け』では無かったと思います。
とりあえずの結論
V(ワイセツ教師=後のDV元オット)と結婚して7年半、生活を共にした経験から言うと、
Vの人間性は、『感謝』というものに非常に遠いものでした。
自分の利益、自分の評価を上げる(=人を卑下することで優越感を得る)ことばかり考えている。
そんなヤツが、いくら正論を吐いたとしても、上っ面だけの薄っぺらい言葉になってしまう。
中学生は、感受性が強い。
だから、Vの発言を正しいことだと受け止めつつも、胡散臭さを感じてモヤッとした。
けれども、そのモヤモヤを説明できる能力は無かった。
(今も上手く説明できていないけれど汗)
当時は、V先生のことを良い先生だと思い、慕っていたので、
V先生に言われた通り、「感謝すべきことなのだ」と自分に言い聞かせ、
モヤモヤ(違和感)を抑え込んだのだと思う。
でも。。。
カサカサと気持ちの悪い違和感は、いくら抑え込んでも、無くならない。
40年も持ち続けてしまった。