私の父が末期癌で入院中、V先生を病室に呼ぶ

Bottles 第1節 中学時代
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において、

母がV先生宛に送った手紙

の中に書かれてある、

1月30日にお会いした」の部分について、説明します。


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病床の父がV先生と会う

当時、私の父が末期癌で入院していて、母は懸命に父に付き添っていました。

そんな父の闘病中、ワイセツ教師V(後のDV元オット)が中学生の私を毒牙にかけたワケですが。



病床の父が、その話(Vと私が交際しているという話)を母から聞いて憤慨し(そりゃ、そうだ)、

「一度、(その先生を)連れてこい!」と言っている、と母から聞きました。

私は、V先生に「父が先生に会いたがっている」ことを伝えました。

という経緯で、
V(後のDV元オット)は、病室で、私の生前の父と会っているのです。

外面そとヅラの良いVは、しゃあしゃあと対応してたよ。話の内容は覚えていないけれど。

「それ以来、お父さんは、V先生のことは、一言も口にはしなかったから、自分の中で何か納得したんちゃうかな。」と、あとで母が言っていた。

今から思えば、元オットは、病床の父まで、得意の口八丁でうまく丸め込んだってことやな。ふう。

私の父は、きっと、V先生を信じてみようと決めたのだと、私は思う。

母は、今の私と違って、家族や友人に相談できる人だった。

母は、すごく思い悩んだだろう。
自分の姉(私の伯母)にもママ友にも相談したみたい。



校長先生に話を持っていくのが、当時では妥当な手段だったと思う。

でも、今なら、どうかなあ?

校長や教育委員会は穏便に済ます為に隠蔽しそうな印象。

だったら、警察か男女参画センターか?



ちゃんと対応してもらわなきゃ、高校入試の時の内申書に響くかもしれない。

そう、生徒本人って、人質だ。

内申書を心配して、強い態度に出れないもの。


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