私の母は、平凡で善良で、真っ直ぐな人でした。
中学生の私は、初めての異性との交際に一所懸命で、彼(V先生)へのプレゼントとして徹夜で編物をしたりしていました。
母は、そんな幼い私をできるだけ傷つけないよう、また、就職したてのV先生(後のDV元オット)の将来に響くことのないよう、穏便に対処してほしいと校長先生にお願いしたのではないかと推測できます。
V先生が校長室に呼ばれる
中学2年の3学期。
その日の部活は屋外だった。
いつものように、学校の周りのランニングから始まる。
(私たちの学校では、学校の周りのランニングのことをPB(仮称)と呼んでいた。「PB3周~」などと言っていた。)
V先生が私の所属する部活動の副顧問であることは、下記のページに書きました。
その日、V先生が「校長室に呼ばれてるから、先に自分らで練習しといて」と。
普段、職員会議などの用事が無ければ、V先生は私たち生徒の練習に参加していた。
家に帰って母から聞かされる
部活が終わって家に帰り、母から聞かされて仰天した。
母は中学校へ出向き、校長先生に「娘との交際をやめるようにV先生に忠告してほしい、交際するなら卒業してからにしてほしいと伝えてほしい」と言いに行ったというのだ。
私は大泣きした。
13年の人生で一番泣いたかも。
いや、小5の時に父が癌を患っていることを母から聞かされた夜に大泣きした。
その時、母も泣きながら「ごめんね、やっぱりミヤコ(=私)に言うんじゃなかったね。悲しい思いをさせてごめんね。」と言うので、
私が泣いていちゃダメだと自分を奮い立たせて翌日からは母を気遣いながら明るく振る舞うようにした。
今回の大泣きは、悔しくて悲しくて。
母は私に何も言わずに校長先生に会いに行ったということが、母に裏切られたような気がして、悔しかった。
何にも悪いことしてないのに!と悔しかった。
(※いや、実際はVの犯罪ですわ。)
私、何にも知らずに、その時間、友達と笑いながらPB(学校の周り)を走ってたなんて、申し訳ない情けない悔しい・・・と、もうグチャグチャに号泣。
どうして私に一言も言うことなく、そんなことしたの!?という気持ちが強かった。
今、考えると、
母のやり方がベストだったかどうかは分からないけれど、校長先生に申告したことは間違ってはいないと思う。
母は娘(私)を守るために必死だったのだ。
この時、私の母は36歳。
末期癌で闘病中だった父は46歳。
V先生(後のDV元オット)は28歳、私は誕生日を迎えてすぐの14歳でした。
私はV先生に謝った
私は、V先生に、『母が私に何も言わずに、校長先生に相談したこと』を謝った。
V先生は「ミヤコは悪くない。先生とミヤコは何も悪いことしてへんやろ?」と言ったが、
私の母のしたことについては何も言及しなかった。
だから、V先生が私の母に対してどう思っているか、
例えば、恨んでいるのか、
または、母親が娘を心配するのは当然のことで納得しているのか、
いや、それでもいきなり校長先生のところへ行くのはやり過ぎやろ、と憤慨しているのか
等々、私には全く分からない。
また、私は、V先生が教師を続けられるかどうかも心配した。
(つくづくお人好しか!)
が、おそらく母が穏便に対処してほしいと校長先生にお願いしただろうから、
たぶん、V先生に対しては校長からの注意だけで済んだのだと思われる。
※
これがイカンかったなあ。ここで、ワイセツ教師の息の根を止めておくべきだったんだよ。
当時の私。今から思えば、本当にお人好しバカ者だ。
母も。
私のことは勿論だけれど、Vの将来まで考えて、大事(おおごと)にせずに済ましたのは思いやりの気持ちからだろう。
その後、徐々に、元オットの言動に疑問を抱いていき、モヤモヤしていた自分の感覚は正しいと思う。
被害者は私だけではないはず。みんな、モヤモヤしてるんじゃないかなあ?
母がV先生宛に送った手紙
母は、V先生と私の関係を校長先生に申告しに行った後、Vの自宅住所宛に手紙を送っている。
画像では読みにくいかもしれないので、以下、転記します。
前略
先日は 大変 御迷惑をおかけ致しました。
ひどいことする親だとお思いになってらっしゃるでしょうね.
ほんとうに無茶をしたと心を痛めております
しかしあの場合 あのようにするしか方法が考えつかなかったのです
先生にお目にかかってからミヤコの様子を観ておりました.
あの時まで 私も ミヤコの気持ちを大切に協力して行くつもりでしたが.
いくら本人が気をつけていてもまわりは 敏感に 感ずいて(原文ママ)いました。
ツボイさんの電話で これではいけないと思いあのような行動を致しました。
ミヤコは子供です 自分の気持をおさえることはまだ出来ません.
先で 先生に迷惑をかけないという保障(原文ママ)はありませんでした。
先生の 一生も ミヤコの 一生も 台無しになるかも知れないと思ったのです
校長先生にお会いしたことをミヤコに話した時 後悔しました
が 主人に話すと.「それでよかった おまえのしたことは正しい これからは
みんな お前にまかす」と言ってくれました。
私は二人の気持を引き離す気は ぜんぜんありません.
しかし ミヤコはまだ中学生です まだまだこれから やりたいこと.
しなければいけないことが たくさんあります
私は これからも親として ミヤコ達がりっぱに成人するまで 主人の分も
いっしょにしっかり見守って行くつもりです.
でも私は 未熟な親です
わからないことが この先 あるでしょう
その時 先生に相談にのってもらえれば こんな うれしい ことはないのですが.
1月30日にお会いした時のお気持がまだ そのままでしたら
お願いします 私を助けて下さい。
ミヤコはマフラーを14日に間に合わせる為 毎日 夜 勉強の済んだ
後 二時 三時 迄 先生に頂いたテープを聞きながら いっしょうけんめい
自分の今の気持を マフラーに編み込んでいました。
どうか お願いします ミヤコの気持をくんで下さい。
ミヤコは 前に お話ししたように すなおな よい子です.
私は 主人に助けられて 二人の子を 今まで 大切に 育てて来ました.
これからも 主人の気持といっしょに 二人共 りっぱに成人させたい
と思っています.
先生 私に力を貸して下さい お願いします
マフラーが届きましたら 電話をしてやって下さい.
他の人は いけないというかも知れません でもミヤコの気持を考えると.
バカな親と思われるでしょうが こんな お願いします(原文ママ)
最後の電話です.そして ミヤコが中学を卒業するまで
表面は 先生と生徒でいて下さい。勝手なお願いをしてすみません
それから 先生.教師の 仕事を 大切にして下さい.
私は子供達の ふみ台になろうと思っています
先生の御両親も同じだと思います
お父様を目標に りっぱな教師になって下さい.
どうぞ 道をはずしませんように ミヤコの為にも
長々と つまらぬ事を書きました。ばかな親とお笑いになられても
けっこうです これが 私の いつわらぬ今の気持です
バカバカしいとお思いになったら やぶいてすてて下さい
お電話をお待ちしております
セキタ◯◯(母の名)
二月十三日.
V先生 へ
。。。この手紙を、今回、初めて、『しっかり』読みました。
母の苦しい気持を思うと、ちゃんと向き合えなくて、現在に至るまで片手で数えられるくらいの回数しか読んでこなかった。
離婚裁判の資料として提出はしましたが、その時もサラッとしか目を通せなかった。
手紙の内容についての考察
<手紙1枚目>
☆ツボノさん・・・後輩にそんな苗字の子がいたような気もするが不明。
なんにせよ、ツボノさんという人にV先生と私が二人っきりでいるところを目撃されたのは間違いないだろう。
私は、「ツボノさん」という方について、母から何も聞かされていないので、
このページを目にされて、お心当たりのある方は、できましたらご連絡いただきたいです!(お問い合せページ)
よろしくお願いいたします。
<手紙2枚目>
☆1月30日にお会いした・・・
これは、次ページ(私の父が末期癌で入院中、V先生(後のDV元オット)を病室に呼ぶ)に記したように、病床の父の病室でVと会ったことを指していると思われます。
<手紙2〜3枚目>
☆マフラー・・・バレンタインに向けて編んでましたね。
Vが『黄色(山吹色)』が好きだというので、その色で。
でも、すんごく長ーいものが出来上がってしまったんですよ。
V先生がそのマフラーをしているところを一度も見たことがないので、長過ぎて使いにくいからかなと反省していた。
私は小2~3年生くらいから鉤針編み、小5から棒針編みをしていた(ゲーム機など普及していない娯楽の少ない昭和世代)ので、編み目はキレイだったはず。
だから、長過ぎたのがダメだったと思っていた。
母が手紙に『自分の今の気持を マフラーに編み込んでいました。』って書いてるから、
そんな、念がこもったようなマフラーを、首に巻きたくないわな!(笑)
(好きな相手からのプレゼントなら嬉しいでしょうが)
バレンタインのお返しは、『WAY OUT』のトレーナーでした。
V先生がしょっちゅう着てるものと同じ黄色(山吹色)の。
私の母は、先生と生徒が個人的に物をやりとりするのは良くないという一般的な考えを持っているフツーの常識的な人だったので、
「受け取ってもいいのかな?」と私は訊いた。
母は、「いただいておきなさい。」と静かに言った。
お返しのプレゼント、嬉しかったけど。。。
V先生と全く同じ(もちろんサイズは違う)トレーナーなんて、友達の前とかで着れないじゃん。
先生のファンだから同じのを買ったの?って、もしツッコまれたら答えに困るやん。
。。。というわけで、タンスの肥やしになりました。
『WAY OUT』のトレーナーについての関連記事
<手紙3枚目>
☆お父様を目標にりっぱな教師になって下さい
V先生のお父さんが小学校の校長先生をしているというのを私はVから聞いていて、それを母にも伝えていました。
<手紙3枚目>
☆どうぞ 道をはずしませんように ミヤコの為にも
私の母の願いも虚しく、Vはその後も女子生徒をたらし込んでいたようですよ。
中学を卒業してから私は、Vが女の子(私よりも年下の中学生や卒業生)と二人っきりで居るところを何回か見かけたし。
さらに、トドメにDV。
たぶん、もともと、既に、道を外していたんだよ。
私たち(私、私の父母)は騙されていたんだよ。
なぜ私の手元にあるのか?
母がV先生宛に送った手紙が、なぜ私の手元にあるのかと言うと、結婚してすぐに、オットが自分の実家(徒歩15秒)から持ってきて、私に見せてきたのです。
「懐かしいもん、見せたろ」と得意気にドヤ顔で言いながら。
オットは中学生だった私との交換日記(別のページで説明します)を実家の自室から持ってきて、私に見るよう促した。
当時の交換日記なんて、見たいと思う??
(長く交際していてずーーっとラブラブだったなら読んで懐かしみたいとは思うかも。)
中学生だったから、かなりポエミーなこと書いてあるはずじゃん?
黒歴史やん。
絶対に、見たくない!
恥ずかし過ぎる。
私は、その交換日記のノートをパラパラっとめくって、母からV宛の封筒が挟んであるのに気付き、
(そういや、母が手紙を書いたって聞いたっけ・・・(母本人かVか、どちらから聞いたのかは記憶に無い))と思いながら、
「うん。。。懐かしいね。」と感情の無い声で答え、ノートを閉じた。
オットからしたら、
『中学時代のオマエは、こんなにオレのこと大好きやったんやぞ』
というような得意げな気持ちも有ったのでは?と思う。
ところが、私の反応は、上記の通り。
多分、私がもっと懐かしがって感動することを期待していたんだろうけれど、当てが外れて、オットは不機嫌そうにしていた。
母の手紙。
母の必死の思いが詰まった手紙。
心が苦しくなるので読めない。
懐かしいなんて思えない。
以降7年間、この交換日記&母の手紙は、私たち夫婦のセミダブルベッドの傍の3段ボックスに置いてありました。
ガラス戸破壊事件(オットが大暴れして、素手でガラス戸を破壊し、オット自身が大怪我をした)があって、離婚も視野に入れ始めた時に、
『離婚の際に役に立つかもしれない』と思い、交換ノートから母の手紙を引き抜いて、私が保管することにした。
(大事なものは、職場の事務机の鍵付きの引き出しに入れていました。)
交換日記のノートは、恥ずかしくて中も見れないので、賃貸マンションに引っ越す時にオット側の荷物として置いてきてしまった。(と思う。)
なぜ、元オットが、その交換日記ノートや私の母からの手紙を捨てずに持っていたのかは、私には分からない。
ピュアな親子を傷つけた反省からなのか、
校長へ告げ口された恨みを忘れないためか、
自分はモテるんだぜ、っていう証拠のひとつとして、
女生徒を夢中にさせたという征服の達成感からか、
はたまた自分のコントロール下に置くことができたチョロい女生徒への嘲笑からなのか。
犯罪者の気持ちは、私には理解できないし、追求したいとも思わない。
性犯罪に関してググっていた時に読んだネット記事によると、
性犯罪者は戦利品を取っておくケースが多いそうです。
この記事です。↓
該当箇所の文章を引用します。
「時間が経過してしまうと物的証拠がなくなってしまう」「証言する人の記憶が薄れてしまう」という声が必ずあがりますが、小児性虐待者の場合は記念品、あるいは戦利品として画像や被害にまつわるものをコレクションしているケースも多い。また、相手を信頼させるまでのやり取りの証拠が、SNSやメールなどで残っていることも。ですから、そういった理由を持ち出して「もう時効だから無理です」という現状は、被害者の権利を奪っていることと同じです。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/sv-care_jp_5c596bbae4b09bd6f91e3892
V(=DV元オット)は、離婚裁判で否定
母からV先生(後のDV元オット)への手紙は、離婚裁判において、オット側の本人尋問の際に証拠として使われました。
以下は、被告(オット)の本人尋問から抜粋したものです。
オットが嘘を吐いている部分に赤色でマーカーをしています。
原告代理人(=私側の弁護士さん)をA、
本人尋問の当事者(=オット)をBと記します。
A:あなたが原告と知り合ったのは、原告が中学2年生のときですね。
B:はい。
A:そのとき、あなたは部活動の顧問教諭をされていたんですね。
B:はい、そうです。
A:28歳くらいですか。
B:そんなもんだったと思います。
A:原告と2人で会ったのは、原告を食事に誘ったのが最初ですか。
B:いや、違います。
A:何が最初ですか。
B:いや、覚えていないです。初めて2人で会ったのですね、何か相談を受けたと思うんですけれども。
A:食事に誘って、帰りに、「先生とミヤコが付き合っていくことは内緒にしとこうな」と言いましたね。
B:そんなこと言うわけないです。
A:あなたは、原告を自宅に連れていったこともありますね。
B:部の女の子数人で来たことはあります。
A:原告をひとりで家に連れていったことがあるでしょう。
B:ないです。
A:原告の身体を車の中や家の中でさわったことがありますね。
B:ないです。
A:1対1で原告と交際しているという認識はなかったんですか。
B:交際しているという認識どころか、部活動の子供としていろんな相談を受けたことはあります。当然、交際という言葉なんかないです。
A:じゃ、1対1の交際だとは思っていなかったということですか。
B:はい。
A:あなたは原告以外の生徒とそうやって交際するということはあったんですか。
B:ないです。
A:原告の母が、あなたが原告と交際しているということで苦情を言いに行きましたね。
B:聞いたことないです。
A:校長から注意を受けていませんか。
B:ないです。
A:原告の母から、在学中はミヤコと交際をしないでくれということを求める手紙を受けたことがあるでしょう。
B:何かそういうのはあったような気がしますけれども、でも全くそういうことはないです。
A:身に覚えのないことを言われて、あなたはどうしたんですか。
B:変な話やなと思いましたけど、交換日記のことを言うてるのと違うかなというふうには思いました。
甲第◯号証を示す(上述の母の手紙)
A:大昔の手紙ですけれども、VB(オットの氏名)先生あてに昭和5◯年2月13日に投函されていますね。
B:はい
A:差出人はセキタ◯◯とありますが、これは原告の母ですね。
B:はい。
A:「先日は大変御迷惑をおかけ致しました。ひどいことする親だとお思いになってらっしゃるでしょうね。しかしあの場合 あのようにするしか方法が考えつかなかったのです」というふうなことが、詫びから入っていますけれども、「あのようにするしか」ということは、何を指しているかわかりますか。
B:わからないです。
A:原告の母が、あなたが勤務する学校長に注意してほしいと苦情を言いに行ったことだとは思いませんか。
B:いや、聞いていないからわからないです。
解説というかツッコミというか考察のようなもの
☆V先生(後のDV元オット)と私が最初に二人っきりで出かけたのは、多分、「夜景を見に」ですね。
このページに記述しました。↓
離婚裁判を起こす際、担当弁護士さんから「まず、陳述書を作成してちょうだい」と言われました。
陳述書??何それ?
普通に生活していたら、自分が裁判に関わるなんて考えもしないと思います。
現在ならインターネットで「離婚 陳述書 書き方」と検索すれば、有益な情報がたくさんヒットします。
しかし、20年前の当時は、そうではありませんでした。
『陳述書』が何なのか、よく分からないまま、とりあえず作成したら、A4用紙50ページ以上になってしまいました。
担当弁護士さんから「10ページ程度にまとめて。」と言われてしまいました。
そりゃそうですよね。。。
カウンセラーさんにアドバイスをいただきながら、文章をまとめていき、
それでも、10ページには収めきれず、結局17ページ。
担当弁護士さんは、その陳述書を元に被告(オット)へ本人尋問していくわけです。
陳述書には「夜景を見に行こうと誘われた」ことを書いていませんでした。
☆相談なんてしていない。
オットは、やたらと「生徒としていろんな相談を受けた」と供述しているのですが、
別に相談なんてしてないけどなあ。
部活の話だったり、高校に入ってからは「理系を選択したよ」等の報告だったり。
どうしたら良いと思う?くらいのことは言ったかもしれないけれど、単なる会話じゃん。
「いろんな相談に乗ってやった」と思っているなら、それはオットの自信過剰かな。
☆自宅の自分の部屋に連れ込んだことなど無いと言うのなら、
どうして私は以下のことを知っているのか説明していただきたい。
- V先生の部屋の木製ベッドの枕元に音楽カセットテープが100本以上並べられていた。
(結婚する時は、無くなっていた。) - 壁掛けレターポケットがぶら下げられていた。
- クリップライトと調光器(ライトコントローラー)を愛用していた。
- V先生は、小鍋でココアを作る。
- スピーカーが自作であること。
など。
☆私の母からの手紙について
上述したように、
そもそも、この手紙を結婚するまでの十数年間、保管していたのは、オット本人やん。
結婚する時に、得意気に私に見せてきたやん。
(その後も、夫婦のベッドの傍の3段ボックスに7年間置いてあった。
つまり、20年近くオット自身が保管していた。)
私の父母は他界してしまっていたので、「死人に口なし」ということ?
でも、当時、私とV先生との関係について、母は家族や友人に相談していたので、知っている人は何人か存命中だよ?
—————
被告(オット)の本人尋問は、離婚裁判の一番最後に行われました。
(私の本人尋問は、その1週間前です。)
被告(オット)の本人尋問から1ヶ月後に判決が言い渡され、
さらに20日後に判決が確定しました。
保護命令申立から数えて丸二年かかりました。
上述の母からV先生宛の手紙は、
弁護士さんに相談し始めた初期の頃に、弁護士先生にお見せしていたのですが、
裁判の最後の最後である被告側(オット)の本人尋問の際に、
甲第◯号証として提出されました。
裁判に関して全く無知な私は、弁護士さんに全てお任せしていたので、
なぜ、最後の最後まで提出しなかったのか理由は分かりません。
裁判官さんたちの印象に残るように、最後の機会(本人尋問)に証拠として提出されたのかなあ~と私は考えています。
現時点からの考察
うーーーん。
本人尋問の最初に、嘘を言わないことを宣誓しているはずなんだけどなあ。
まあ、当時の少女ワイセツを認めてしまったら、職を失うことになるだろうから、シラを切り続けたのだろうけれど。
それがアカンやろ。
就職1年目に女子生徒に手を出すようなヤツが教師になってはいけなかった。
嘘を吐いて職にしがみつき、結局、定年退職まで在籍。
だいたい、激昂してガラス戸を自分で破壊し自分の利き手の機能を失うような頭おかしいヤツを雇い続ける教育委員会って、どうなん?
オットは、職場の人達に対しては「つまづいてガラス戸の突っ込んでしまった」というような説明をしているみたいだけれど。
そんなヤツに税金から給料が支払われているのですよ。
昨年(2022年7月)、教員免許更新制が廃止されました。
そんな制度より、人間性・道徳観・倫理観が疑われる教員を対象に身辺調査を行う必要があるのでは?
プライバシー云々などと言うてる場合ちゃいますよ。