中学時代にV先生(後のDV元オット)から手懐け行為(グルーミング)を受けていた様子を書き続けています。
二人で居る時の「位置」について
並んで歩く時や座る時は、自分の左側に位置するよう、V先生(後のDV元オット)に言われました。
「その方が、何か有った時に、利き手で守リやすいから」と言う。
車(国産車:右ハンドル)の中でも助手席は運転手の左側なのでOKとして、
歩く時、座る時、ベッドで横になる時など、私はV先生の左側に居るよう、いつも意識することになった。
中3のときに仲良くなった友人(もちろん女子です)と並んで歩く時も、私が左側だった。
これは、友人と特に示し合わせた訳では無く、たまたま、彼女が「自分が右に位置していたい」という無意識を持っていたんじゃないかな。
そんなワケで、私は13歳のときから今(50歳代)でも、人の左側に位置することが自分の通常になっています。
心理学的な解釈が有るみたいです
「心理学 座る位置」などのワードでググるとヒットすると思いますが、相手との位置によって相手に与える自分の印象や相手の反応が変わるのだそうです。
無意識的に自分の心臓を守るとか右脳・左脳の働きなどの要因があるとのこと。
↑このことは、インターネットが発達し情報量が増えた現在では、ご存じの方も多いと思います。
が、上述したように私がV先生から「位置」を指定されたのは、40年近く前。
しかも、私、13歳。
なんの疑いも無く、(そうか~、先生は私に、自分の左側に居て欲しいんだな)と、言葉通りに受け取りました。
(「利き手で守リやすいから」という理由については、もひとつ理解できなくて、ここでも?と小さな疑問が生じたのだけれど、ツッコまず。※)
※V先生に対して疑問や違和感を持っても、ツッコんだり質問したりできなかったことは、
に記述しています。
V先生(後のDV元オット)からの発言に、心理学的な意図は有ったのだろうか?
15年くらい前に読んだ本の中に、上記のような内容(相手との位置についての心理学的解釈)のことが書かれてあって、怖くなりました。
本の内容が怖かったのでは無いです。
ひょっとして、元オット(V先生)は中学生女子をたらし込む為に心理学的アプローチを使って、私を含む被害者(中高生女子)たちを操っていたのか?
と考えると、怖くなったのです。
当時のV先生が、上記のような対人関係における心理学的アプローチを知っていたかどうかは分からない。
専門的な心理学というより雑学っぽいと思うので、カッパ・ブックスやブルーバックス等の書籍などに書かれていそう。
元オット(V先生)が履修した教職課程
心理学と言えば。
元オットは、教職課程で青年心理学などの心理学をかじっただろう。
そう。「かじった」程度のはず。
などで何度か述べてきたように、元オットは大学卒業までに「浪人2年+私立大学7年」かかっているのですが、少し言い換えると「二浪・二留+編入学1年」なのです。
二浪・二留は、遊び過ぎ勉強サボり過ぎによるものだそうです。
二浪・二留のせいか就職先が見つからなかったみたいで、それじゃあ教師を目指そうかと、教職課程をとれる大学に編入したそうで。
すなわち、大学生活最後の1年間で編入学先の大学において教職課程を履修したみたいです。
たった1年で教職課程をとれるのかどうか知らないけれど、専門分野の単位は1つめの大学のものを振り替えるのだろう。
とすると、1年間で履修するのは、教育理論や発達心理学、学校の制度、道徳教育、生徒指導、教育・進路相談などに関する科目。
1年間の履修期間で元オットの得た知識は、ぺらんぺらんの薄っぺらなものだったのでは?
だって、新卒1年目で中学生女子の身体を触り、その後も何人かの中高生女子をたらし込んでいたようなので、「道徳」が身に付いてないじゃん。
多感な成長過程にある中学生に対して教師のほうから恋愛を匂わせて近づくなんて、生徒の心身の健やかな成長を阻害する蛮行であって、人権侵害だ。
V(後のDV元オット)は、1年間の教職課程でいったい何を学んだのか?
大学を卒業するのに9年かかり、もう後がない状態で、教員試験に必要な単位を取るためだけの薄っぺらい学習だったのでしょう。
決して、編入学して1年間で教職課程を習得できる制度に対して批判しているのではなく、
あくまで、元オットの姿勢(人間性)を疑問視している、ということです。