昭和40年代に生まれたオバチャンです。
でも、中身はあんまり成長してなくて、私はやっぱり子どもっぽいのかなあと少し気にしています。
中学受験対象の塾でアルバイト(非常勤講師)していて、子どもっぽい性格だからか、小学生たちとワーキャー楽しく話せることは、すごく良かったです。
もちろん、子ども達にとって安全な大人として、生徒たちの心を傷つけることのないよう、気を配っていました。
自分自身の体験から、小中学生たちの心は純粋で柔らかくて繊細なものだと痛感していたからです。
毎年、中学受験が有るのは大変だったけれど、生徒たちとの勉強は、本当に楽しかった!
「見た目はオバチャン、中身は子ども!」をキャッチフレーズにしていました。
自己紹介とか自己アピールとか、めっちゃ苦手なのですが、がんばって書いてみます。
関西出身です。
父は、紳士服をオーダーメイドで作る人でした。
母は、専業主婦で、父の仕事の手伝い(仮縫いなど)をしていました。
父の死後は同業の方々から仮縫いの仕事をいただき、昼は工場や病院の調理場などで働きました。
そのような父母の第一子として、私は生まれました。
キリスト教系の幼稚園に二年保育で通いましたが、家にはお仏壇があり、祖母が毎日お供えをしていました。
(私自身は宗教に拘らず、10代の頃から八百万の神様を信じています。)
その幼稚園、近所の幼馴染は皆んな通っていたので、公立だと思い込んでいたの。
(小学5年生くらいの時に、「公立でキリスト教っておかしくない?」と友人に指摘されて初めて気がついた。)
父も、その幼稚園の出身だったようで、「戦争中は、幼稚園のところに防空壕が有ってん」と話してくれました。
小学2年の時に同市内で20kmほど離れた土地へ引っ越し転校。
母と祖母(父の母)の折り合いが良くなくて、祖母と距離を置くための転居だったみたいです。
幼い私の記憶では、母と祖母がケンカしているところは見たことが無かったので、仲が悪いなんて知らなかった(中学生くらいの時に母から聞いた)。年に数回は祖母の家へ家族で遊びに行っていたし。
幼い子どもの前でケンカしない、という父母・祖母に感謝です。
いや、子どもを育てる大人として当たり前のことなのだけれど、できない人も存在しますからね。
そして、妻を守る決断をした父を尊敬します。
これまた、妻を大事にすることは当然だと思いますがね。
父は、自分の母の面倒を見るつもりだったろうし、母も父の気持ちを尊重して姑と同居することに応じたのだと思う。
(ちなみに、父は四人兄弟の3番目。他の三人はそれぞれ結婚して市内に住んでいた。父の結婚が最後だったので実家住まい。)
それなのに、嫁と仲良くできなかった祖母がアカンよね。
嫁のことを悪く言うよりも、同居してくれていることに感謝しなきゃ。
父と母は、私たち子どもの健やかな成長を再優先して、宝物として育ててくれました。
私の小学生の頃の将来の夢は、学校の先生か漫画家。
世間知らずで他の職業をあまり知らなかった、というのもあります。
クイズダービーを見て、「はらたいらさん、すごいなあ」と毎回思っていました。
学校の先生も漫画家も、賢くなきゃなれないのだ、また、将来なりたい職業が変わっても対応できるように、とりあえず勉強がんばっておこう、とぼんやり考えていました。
中学1年時の5月、父の胃がんが判明。
外科手術で胃の半分以上を切除しました。
しかし、転移し、中学3年時の4月7日、父は他界しました。
私は、小学校から高校まで、公立校に通いました。
成績が不安でしたが、かろうじて国公立の大学に合格。
大学入学の1ヶ月後である5月、母が末期がんに侵されていることが判明。
どうやら、胃の外側の壁でがん細胞が増殖していたらしく、症状が出た時には既に末期だったのです。
同年9月に、母が他界。
塾講師のアルバイトで生計を立てながら大学生活を送りました。
大学の教授が声をかけてくださり、研究室の教務職員として就職。
この後は、概要にも記述していますが、以下、簡単に記します。
26歳で結婚。
中学時代の性被害を払拭するという目的が結婚を決めた理由のひとつだったが、結婚後すぐにオットからのDVが始まり、その目的も見失ってしまうほどの壮絶な婚姻生活を送る。
28歳になる数日前に、第一子誕生。
第二子の妊娠中に、実弟が他界。
30歳の時、第二子誕生。
31歳、謎の体調不良を発症。
(体調不良について参照)
34歳、DVオットと別居。保護命令の申立てを行い、裁判所から発令される。
保護命令の有効期間は6ヶ月のため、以降、再申立てを繰り返しながら、離婚調停→離婚裁判に臨む。
裁判のストレスで体調不良が悪化し、大学を退職する。
36歳、裁判離婚が成立。
体調不良を抱えたままなので、フルタイム正社員として就職するのは難しいと考え、
翌年から、大学時代にお世話になった塾で非常勤講師として勤務する。
2年ほど前、更年期からか体調不良が悪化して身体が動かなくなり、現在は家で引きこもり中。
Amebaブログ(パンドラの匣に残ったものは。)で書き始めたのですが、このサイトに引っ越して参りました。
アメブロさんのほうは、明るい話題を心掛けて、日常のひとりごと的なことを書き続けていきたいです。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m